shantipapa’s blog

私の人生の記録です。節約、Apple、代替医療、瞑想など

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ヴィパッサナー瞑想との出会い

もう10年前の話になる。当時、父と母の仲が悪く、言い争いが絶えなかった。喧嘩をしては後で泣いている母をみて、いつしか弱い方の母の味方をするようになっていた。ちょうど、その頃いとこが亡くなったことも重なり、家族仲は最悪の状態に近かった。 私は父を恨んで、とてもひどい暴言をはいたりした。父は身体の調子を崩し、私はメンタルを病んだ。半年ほど引きこもりの生活を送った。どんな状況であれ、息子として父に対しては言ってはならないことを言ってしまったのだ。そんな自責の念が私を鬱にさせた。

そんな中、一人の人が親身になって相談に乗ってくれた。その人は日蓮宗の人であったのだが、私には日蓮よりかヴィパッサナー瞑想の方が合うかもねと、一冊の本をくれた。「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」という本だ。

ある日、父に声をかけられた。 「おまえな。お前がひとこと。ごめんなさいって言えば、俺はおまえを許せるんだぞ。なぜならおまえは俺の息子だからだ。」 私は自然に、「ごめんなさい」と言った。

その時に、きっと心の中で何かが少し。カチッと変わった気がする。 魂の成長を意識するようになった。

しばらくして、私は旅にでた。 恩人にもらった「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門」をもって、バンコクからラオスを経由して、中国に入った。 中国で、縁あってお寺で太極拳を学ぶ機会を得た。 半年以上、日本で鬱状態で引きこもった生活をしていたので、お世辞にも健康的だとは言えなかった状態だったのだが、お寺での生活を過ごすなか、一日一日と内から力が湧き出てくるのを実感した。 回復している。強烈な癒しを得ている。 その後、私はタイにもどり、タイ式マッサージを習った。 自然にこころから笑顔がでるようになり、自信がもてるようになってきた。 私は、そのまま旅先でもっともっといろんなことを学びたいと思った。 旅先でいろんな経験をして、たくさん学び、全く違った人間になって日本にもどってやろうなどと思っていた。 家族がどんなに心配しているかもそっちのけで。

インドに渡った私は、ダラムサラという地で、始めてヴィパッサナー瞑想の10日間コースに参加した。 10日間、誰ともしゃべらず、ひたすらに自分の内面を見つめる。私たちの多くは、今この瞬間を味わっておらず、過去のことを思い出したり、未来のことを想像したりして多くの時間を過ごしている。過去のことは単なる思い出に過ぎず、未来のことはただの妄想にすぎない。今この瞬間が大切。 考えることをひとまずやめ、今この瞬間の現実を味わう。感じる。受け入れる。でも、またすぐに心は過去や未来に彷徨い始める。

瞑想していると様々なことを思い出す。自分の嫌なことをたくさん思い出す。他人に感じた嫌なことも思い出す。強い感情が心に起こると、必ず身体に何かしらの反応が起きる。思考に陥っていたら、思考から離れて、身体に起きている感覚に意識を向ける。変化している最中にいることを感じ取る。

様々な感情が沸き起こる。それに反応せずに、呼吸とともに今ここに留まる訓練をひたすら行う。何度も何度も、思考の連鎖から抜け出ようと努力する。

ふと理解した。 なんて私は自分勝手でわがままだったんだろうと。 旅先でいろんなことを学んで、良い経験を得てきたのはいい。 でも、もっともっと。あれもしたいこれもした。もっともっと。 全く違った人間になってやる。そんなことを思っていた自分の傲慢さに気づいた。

学びは一生続けるものだ。 だから、今焦らなくてもいい。 「今日という日において、今の私は今の私でちょうど良い。」

そう思えた。 そして、旅をやめ日本に帰国した。

あれから10年。 やりがいのある仕事があり、大切な妻がいる。 もっと良い私になって、人のためになりたい。

この記事を書き終わったら、また瞑想をしよう。