shantipapa’s blog

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旅日記7 サールナート観光、そしてアーグラーへ向かう

3泊したバラナシも今日で最後。夕方6時15分の列車でアーグラーに向かう。 元旦の朝はものすごい霧だったが、今朝は霧も少なく空気が比較的澄んでいる。ガンガーでみる朝日ももう見納めだ。

朝ごはんはオムレツ、トーストにコーヒーを頼んだ。妻が「これって黄身をあえてのぞいてつくってるのかな?」と言った。そういえば確かに白っぽい。さっさく調べてみた。検索窓に「インド 卵」といれたら、サジェスト機能で、「インド 卵 白い」と出て来た。同じように調べる人が沢山いるのね。それでもってわかったことは、世界的には黄身は白っぽいほうが主流であり、日本の卵は餌にパプリカやマリーゴールドの粉末を混ぜ込み、黄身の色が濃くなるようにしているらしい。農協がつくった黄身の色見本があり、消費者のニーズに合わせて黄身の色を調整しているのだと知った。私達日本人にとっては、黄身がきちんと黄色いほうが美味しそうに見えるが、インドの人々からすると黄身があまり黄色いと身体に悪そうだと思われるらしい。そうだったのか。

朝ごはん後、荷物をパッキングした。このガンガービューの部屋とも、もう少しでお別れだ。ちょっと高かったけど、この部屋にして良かった。この部屋の思い出には腹痛の思い出ががっちり結びついている。いやぁ、それにしても…あれは痛かった。本当、冗談じゃないくらい。治って良かった。

まだチェックアウト時間まで少しあるので、荷物は部屋の中においたまま、ガンガーに散歩にでた。ケーダルシュワール・ゲストハウスに一番近いガートはチョーキー・ガート(Chauki Ghat)だが、ふだんはそこから北のダシャーシュワメード・ガート(Dashashwamedh Ghat)にむけて歩いていた。今朝はまだ歩いていない南側に向かってみた。

船を修理している人々がいた。遠くに浮かんでいると小さくみえる船も、岸にあげられてみると、結構大きい。

ダシャーシュワメート・ガートから離れれば離れるほど、人の数は少なくなり、落ち着いた雰囲気となってきた。今日は空気も澄んでいて、とても心地よい日の光が降り注いでくる。しばらく歩いていたら、積み上げられた薪と、立ちのぼる炎が見えてきた。火葬場だ。

バラナシには火葬場が二つあり、ひとつはダシャーシュワメートより北に位置するマニカルニカー・ガート。こちらはメインとなる火葬場で、一日中火葬の炎が絶えない。そしてもう一つの火葬場が、ダシャーシュワメート・ガートより10分ほど南に歩いたこのハリシュチャンドラ・ガートだ。

天候が良いこともあるだろうが、ハリシュチャンドラ・ガートの雰囲気は非常に開放的に見えた。火葬のすぐそばで若者達がクリケットをして楽しそうに遊んでいる。生と死が本当に隣り合わせで、それが当たり前となっている。遺体を焼く炎。若者たちの遊び声。そして仔犬が母犬の乳に群がっている。そんな景色が違和感なく溶け合っていた。

火葬場を後にした私達は宿に戻った。チェックアウトをしなくてはならない。夕方の列車まで時間があるので、バラナシ近郊のサールナートに観光に行くことにした。オートリクシャーの手配は宿でお願いした。

バラナシ市内からサールナートまではオートリクシャーで40分ほど。道は凸凹、埃もすごいが私はリクシャーでの移動が大好きだ。

途中ガソリンスタンドに寄ったので、給油しているシーンを撮影してみた。オートリクシャーって、とてもキュートだと思う。給油しているところも素敵だ。 結構燃料って高いんだなと思った。ガソリンだか軽油だかはわからないが、1リッター65.51ルピーとある。1ルピーが1.7円くらいなので、リッター110円ほど。日本とさほどかわらない?聞くところによると、近年のルピー下落により燃料代があがり、リクシャーワーラーの生活は厳しくなっているらしい。上の写真の奥の方が私達が乗るリクシャーの運転手さんだ。

サールナートの近くになると木々が少し多くなってきた。えんじ色の袈裟をまとったラマ僧(チベット仏教僧)が歩いている。地図を確認してみるとCentral University for Tibetan Studies(チベット研究中央大学)のところを走っていた。ここは仏教四大聖地のひとつ。悟りを開いた釈尊が始めて説法を行った地だ。

やがてリクシャーが駐車場にとまり、リクシャーワーラーが、「私はここで待っているから見学してこい」と言った。この人は宿に迎えに来てもらったときから、ほとんど喋らなかったのだが、結構流暢な英語の発音をしていた。

さて、ここからサールナート観光。まず入ったところは、 ムールガンダ・クティー寺院(Mulagandhakuti Vihara Temple)。スリランカ寺だ。 結構観光客が多い。私は自分が仏教徒のつもりなので、仏教寺院にインド人観光客が来ていることが、なんだか嬉しかったりする。

お寺の中は、ブッダの一生が描かれていた。 仏陀の誕生 修行中の仏陀。スジャータ村の村娘から乳粥が供養される 様々な誘惑に打ち勝ち悟りをひらく仏陀 殺人鬼アングリマーラへの説法 仏陀入滅 あとから知ったのだが、この絵を描いたのは野生司香雪という戦前の日本人画家だった。野生司香雪は大正6年に仏教美術研究のためにインドに渡り、昭和7年にこのムールガンダ・クティー寺院の壁画『釈尊一代記』の製作を依頼されたとのこと。素晴らしい偉業だ。(野生司香雪さんについては、こちらのページ詳しい)

初転法輪(Dhamma cakka ppavattana sutta)。釈尊が悟りを開いた後、ここサールナートで5人の修行僧(比丘)たちに初めて行った説法の内容が書かれていた。この石板に書かれているSADHU! SADHU!! SADHU!!! というのは「私は同意します」という意味で、インドでよく見かける修行者のサドゥーではない。

こ お寺の裏手にある鹿公園では、仏塔が遠くに見える原っぱで、インド人達がのんびりピクニックをしていて、こちらものんびり朗らかな気持ちになれた。

ダメーク・ストゥーパ(Dhamekh Stupa)はサールナートでもひときわ目立つ、高さ43メートルの仏塔だ。このダメーク・ストゥーパの場所こそ仏陀が最初に説法を行った場所だという。 釈尊の死後200年たち、古代インドのアショーカ王は仏教と出会った。そしてその教えに心をうたれて、武力による統治からダンマ(法・ダルマ)による統治へと移り変わっていった。そして初転法輪の地である、ここサールナートに仏塔を建立し、多数の僧侶が仏教を学べる大規模な僧院をここに建てた。現在のこっているダメーク・ストゥーパは6世紀に建て替えられたものだが、アショーカ王統治時代の遺跡群はいまでもここに残っている。

アショーカ王が国策として仏教を広めたのがおおきなきっかけとなり、仏教は南伝、北伝という形で他国に伝わり、世界に広まっていった。釈尊ももちろんであるが、アショーカ王も、後世にどれくらいのおおきな影響を残したのだろう。

ムールガンダ・クティー寺院の壁画を描いた野生司香雪のこと、そして仏教を保護した大王であるアショーカ王のこと。サールナートを訪れ、写真を撮っているときのは知らなかったことである。後に写真を整理し、旅の記録をこうして残す段階で、調べてわかったことが沢山ある。

旅をして、いままで見たことのない景色をみる。時に写真をとることもあるだどう。旅から帰って、写真を振り返ったときに、ぜひ訪れたその場所がどういう場所なのかを調べてみると良いと思う。何かの縁があり、そこを訪れたのだ。その場所のことをよりよく知ることにより、次回につながるかもしれない。もしかしたら人生がほんの少し豊かになるかもしれない。

旅を通じて感性を養い、経験から知恵を養う。そして調べることにより知識を養い、それらが私たちの個性を養っていく。そしていつか旅は終わり、帰るべき場所に帰らなくてはならない。旅の時間が非日常であるならば、また日常の生活に戻っていかなくてはならないのだ。私は欲張りだから、旅に出る前の自分より、旅から帰ってきた後の自分のほうが少しでも良くなっていたいと思っている。 ふと、サールナートの写真をみかえして、思い出を振り返り、旅に出てよかったなという想いが込み上げてきた。

こちらの仏像は顔が削られていた。12世紀のイスラム教侵攻により、多くの寺院が破壊され、たくさんの僧侶が殺されたのだという。偶像崇拝を禁じるイスラム教の教義により、仏像の顔は削りとられたのだろう。そっと手向けられたマリーゴールドの花が悲しげな美しさをかもしだしていた。

ダメーク・ストゥーパも十分に見て満足したので、立ち去ることにした。帰り際、お弁当を広げピクニックを楽しんでいる人たちに出会った。穏やかな空気が流れている。サールナートに来て良かったねと妻が言った。

もう2時をまわっていて、お昼ご飯をまだ食べてなかったので、だいぶお腹もすいた。沿道で見かけたスナック屋台で軽く食事をすることにした。 この写真はスナック屋台の裏側から撮ったもの。奥に座って食べられるテーブルが用意してあったので、ゆっくり食べることができる。プーリーとかパコラは美味しかったのだが、チョウメンはなんか不味かった。滅多にだされたものは残さないのだが、ごめん。このチョウメンは無理でした。

駐車場に戻り、私達を連れてきてくれたリクシャーに乗り込んだ。またお楽しみのリクシャータイムだ。Googleマップで、現在地を追跡しながら流れ行く風景を楽しむ。行きとは違うルートを走っていた。すこしスラムっぽい雰囲気を感じ、しばらくすると巨大なゴミ捨て場が見えた。ビニールごみの量がすごい。残念ながらその写真はとれなかったが、豚たちがゴミの中から食べられそうなものはないか漁っている写真がとれた。

ふとニューデリー駅でみた看板を思い出した。 DESTROYING natute today, Disastrous FUTURE someday
ゴミ問題は大きな社会問題なのだろう。12億以上の人口を抱えるインド。発展しつつある経済。工業製品が溢れるにつれ、ごみの量も多くなってくる。ちょっと失礼な言い方をすれば、『分別せずに何もかもそこらに捨てるのが当たり前』というのがインド式だろう。当たり前なのだから、みんな直そうとしない。持続的かつ健全な経済発展のためには、教育こそ大切なのだろうと感じた。子供の頃から国を挙げてゴミのことを教えて考えさせていかないと、今後この国や世界はどうなっていってしまうのだろう。生分解しないゴミ。蓄積していく化学物質汚染。内分泌撹乱物質。そんなことをすこし考えさせられた。 (HUFFPOSTがこのインドのごみ問題について触れていた)

バラナシに戻った私達は、そのままガンガーを見に行った。これでガンガーも見納めだ。

人も動物も隣り合わせに存在するインド。そしてガンガー。私はこんな場所が好きだ。またいつかここに来たいと思う。アンジェロにも会いに来よう。

前回来た時も、今回も。私はガンガーで沐浴はしなかった。アンジェロにガンガーで沐浴はしたのか?と聞かれたときに、私は「していない」と答えた。するとアンジェロは「not yet」とつぶやいたのが印象に残っている。そう。私にとっては、「今はまだ」。いつかの楽しみに残しておこう。

ケーダルシュワール・ゲストハウスのミントゥさんが、沐浴をしなくても、頭にガンガーの水を少しふりかけるだけで清められるよ。と教えてくれていたので、私と妻は、最後にガンガーの水をお互いの頭にかけあった。

ガンガーを後にして、ケーダルシュワールの皆さんにご挨拶をした。さて、アーグラーに向けて出発だ。 通りにでて、オートリクシャーをつかまえてバラナシ・カント駅へと到着した。

私達の乗る列車は、14863 Marudhar Express。電光掲示板をみるとプラットフォーム9番から出発するようだ。A/Dというのは、Aはarrival 到着。Dはdeparture 出発だが、その駅が始発という意味だ。Marudhar Expreeはバラナシが始発なので、もうすでにプラットフォームに停車していた。

インドの寝台列車は予約した車両の入り口に乗客リストが貼ってあるのだが、自分の名前があるかどうか不安になる。ちゃんと私達の名前をみつけて一安心。時間ぎりぎりにいくと、かなり焦るので、時間の余裕をもって駅にいくと良いと思う。

前回、デリーからバラナシに来た時に乗った車両は1st AC (一等寝台) だったので、広々と快適だったが、今回は AC 3-Tier Sleeperというクラスで、三等寝台にあたる車両だ。ベットも三段となり少し窮屈だが、この窮屈さも旅の醍醐味かもしれない。

妻は三段ベッドの上段、私は中段だったのだが、列車の出発時には中段のベットは上げてあり下段に座れるようになっている。私はサールナート観光などもあり疲れていて座りながらうとうとしていたら、下段ベットのインド人女性が、気を使ってくれ「もう眠りたいか?」と聞いてくれた。ありがとう。

三段ベットをつくり、私達は早々に眠りについた。