shantipapa’s blog

私の人生の記録です。節約、Apple、代替医療、瞑想など

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旅日記5 新年のバラナシ。古い友との再会と激しい腹痛

2016年。新しい年の幕開け。 初日の出を拝みに行こうとガンガー沿いのガートへ来てみたが、朝靄がすごすぎて何も見えない。インドの列車は遅れるのが当たり前なくらいよく遅れるが、それは霧のせいだと宿のオーナーが言っていた。特に今の時期が一番霧が出やすいのだという。 さすがに、この霧だったら列車も遅れるなと思った。 ダシャーシュワメート・ガートも霧で覆われているが、人は多かった。ここで朝のチャイを一杯。

写真は妻です。2016年の幕開け。彼女はガンガーを前にどんなことを想いながらチャイを飲んでいたのだろうか。

やがて、8時を過ぎたころ、霧の向こうに太陽が見えてきた。その太陽はくすんだオレンジ色をしていて、まぶしくなかった。バラナシのガートから見る対岸は砂浜があるのみで建物などは一切ない。黄泉の国に相当するものだという。なにもない対岸の上に存在するまぶしくない太陽は、私に心の奥底で不安さを少し呼び起こすような感覚を引き起こした。

このあと、火葬場があるマニカルニカー・ガートへと足を運んでみることにした。マニカルニカー・ガート手前のあたりで、インド人がこの先の火葬場は撮影禁止だと注意を促してきた。はい。わかってます。と一眼レフをバックにしまった。そのインド人は私達と一緒に歩き、いろいろ説明をしてきた。遺体を荼毘に付すのに用いる薪の話がでてきたときに、やはり来たかと思った。このマニカルニカー・ガートは勝手にガイドをはじめ、薪代を請求してくる事例がとても多いことを予めネットや地球の歩き方などで知っていた。私達は相手にせずに、火葬場に近づきすぎず、少し遠巻きに立ち上る炎を眺めていた。

しばらくして、別のインド人がやってきて、また勝手ガイドを始めた。今度は話すときにこちらに目をあわせず、耳元で不気味な話し方をする初老の人だった。近くの建物を指差し、あそこのホスピスには死を待つ者が大勢いる。彼らはここバラナシに死ぬために来たのだ。ホスピスの中を見学したいか?一人の死体を焼くのにどれくらいの薪の量が必要か。いったいどれくらいの薪代が必要か。貧しい者は薪代を払うことができない。あなたのカルマのために、薪代を払ってほしい。そんなことを耳元で囁いてくる。相手の表情をみても視線はそらしたままだ。立ち上がる炎のほうをずっとみている。私はその男性が瞳孔が横にのびた不吉な山羊のように見えた。勝手ガイドに霹靂としてきて、妻もここを立ち去りたがっていたので、その男性を無視して、マニカルニカー・ガートを後にすることにした。立ち去る私達の後ろで、No good karmaだ。と男性が叫んでいた。

このようなことは、ここインドではよくあることだ。断るときははっきり断る。嫌だな、オカシイなという雰囲気を感じたら速やかに立ち去る。これがトラブルに巻き込まれないための第一条件だろう。

だからといって、話しかけてくる人を全て無視したり追い返しても旅は面白くない。気持ちがギスギスしてくるし、だんだん惨めな気持ちにもなってくる。できたらお土産を買ってもらいたい、ガイド料をもらえたら嬉しいと考えながらも、基本的には旅行者と話しがしたいだけ。日本人と沢山話して日本語がもっと上手くなりたいだけと思っているインド人も多い。

私は、観光客を狙うようなインド人でも、挨拶してくれたら挨拶で返し、話しかけられたら基本的に答えるようにしている。現地の人との会話は避けずにたのしみつつ、断るときははっきりと。嫌なときにはさっさと立ち去る。そんなスタイルで旅をしている。

バクシーシ(喜捨・施し)についての私の考え、スタンスも良い機会なので記したいと思う。私にとってバックパッカーのスタイルで旅をするのは15年ぶりだ。かつての旅で私はいろいろなことを学び、経験し、そんなひとつひとつの出来事が、今の私の一部となっている。今回の妻とともに訪れたインド新婚旅行だが、私にとってはインドという国に対しての恩返しの意味も少しある。なので、バクシーシを要求された場合は、多少積極的に施しを行うようにしている。もちろん、要求されたら無条件で渡すことはしない。何かしらの心動かされるものが感じられた場合にバクシーシを手渡す。バクシーシを渡すのに財布を出すのは嫌なので、10rs札をなるべくズボンのポケットに用意するようにしている。

また、バクシーシを渡したくない時、もしくはしつこい客引きなどを断る時に有効なのが、合掌だ。心静かに合掌して少し頭をさげると、不思議と諦めて帰ってくれる。これはぜひ試してほしい。

さて、マニカルニカー・ガートを後にした私達は、旧市街の狭い路地を歩き、ゴールデン・テンプルのほうへと行ってみた。ゴールデン・テンプルはバラナシの信仰の中心となるお寺で、ものすごい長蛇の行列ができていた。そうだ。今日は1月1日、元旦だ。インドに暮らす人々の初詣なのだ。かつてゴールデン・テンプルは外国人は入れなかったのだが、現在では、仏教徒の日本人はゴールデン・テンプルに入ることができる。仏教はヒンドゥー教の一流派であると見なされているとのこと。だが、あまりの長蛇の列に、ゴールデン・テンプル参拝は諦めた。またいつか機会があるだろう。

今日はクリシュナ・ゲストハウスからケーダルシュワール・ゲストハウスに部屋を移動しなくてはならないので、朝の散歩はこれくらいにして、宿に戻ることにした。帰り道、インドのモディ首相と安倍首相が写った看板を目にした。2014年にモディ首相が訪日した時には京都を案内したとのこと。そして今回、私達がバラナシを訪れる少し前に安倍首相がモディ首相の故郷でもあるバラナシを訪問したとのこと。私の大好きなインドと日本の関係が良くなることは、とても嬉しいことだ。

宿の近くに野菜の露天商が集まっているエリアがある。長期滞在できるなら、野菜や果物を買い込んで料理すると楽しそうだなと思った。今は日本で仕事があるので、そういうことはできないけど、日本ではないどこかで生きていく選択肢も悪くないかもしれない。

さて、宿に戻った。手早くパッキングを済ませて、ケーダルシュワール・ゲストハウスへと移動した。楽しみにしていたガンガービューの部屋だ。めったに使わないiPhoneのパノラマ撮影モードでバルコニーからの写真を撮ってみた。少し値段は張るけど、せっかくのインド旅行。限られた時間を楽しみたいのでこの部屋に泊まることにした。なにしろこれは、新婚旅行でもあるのだ。

1時間ほど、気持ちの良いバルコニーでガンガーを眺めながらぼぉ〜っとして過ごした。私は日本ではコーラやファンタなどあまり飲まないが、インドのLimca(リムカ)はなぜか大好きだ。このちょっと強めの炭酸と甘すぎないレモン風味がたまらなくうまい。ガンガーをのんびり眺めながら飲むリムカはまた格別だ。炭酸飲料1本でこんなに幸せな気持ちにさせてくれるのもまた、ガンガー効果だろう。

お昼も過ぎた頃、散歩がてらにアッシー・ガート近くにあるオープンハンド(Open Hand)というカフェ兼お土産物屋に行ってみることにした。途中、HAPPY NEW YEAR 2016と書かれたオートリクシャーを発見。なんとも微笑ましく可愛い。

オープンハンドはバラナシの中でもすこし離れた地区にあるが、iPhoneにインド現地のAirtel SIMを刺しているので、問題なくグーグル・マップが使える。昔は紙の地図を片手に歩いたものだが、なんとも便利になったものだ。途中いくつかの雑貨屋などにも立ち寄り、目指すオープンハンドの前まで到着したのだが、今日はまだお昼ご飯を食べてない。先にご飯を食べようということになった。

オープンハンドもカフェなので、食事をすることもできるが、妻がローカルフード食べたいと言った。この言葉は私にとってもなんとも嬉しい一言だ。私達は近所のローカル食堂を探すことにした。周囲を歩いてみたところ、考えていたよりすこしばかり高そうだが、Shiva Restaurantというインド料理屋があったので、そこで食事をすることにした。

私も妻もターリーを注文し、食事が来るのを待っていたときに、西洋人から声をかけられた。 「エクスキューズミー。もしかして、あなたは昔、中国のお寺にいませんでしたか?」

「アンジェロ!?」 突然の出来事だった。私は昔、中国雲南省大理にある無為寺というお寺で2ヶ月住込みで太極拳をならったことがある。それは私の人生に大きな変化を及ぼした経験だった。そしてアンジェロは無為寺で共に太極拳を修行した友だ。もう15年前の話だ。 なんという偶然であろうか。15年という歳月を経て、ここバラナシで。この時間にこの場所まで歩いて来て。たまたま見かけた食堂に入った。 妻がローカルフードが食べたいと言わなければ。きっとこの再会はなかったであろう。 偶然とは思えない偶然の一致。インドという国を覆う何かしらの力。インドの神様か何かが微笑んで祝福してくれているような気がした。

アンジェロはここバラナシで暮していて、もう二年以上たつらしい。無為寺での修行をきっかけとして、彼は太極拳や中国文化に強く魅かれ、中国に留学をした。そしてさらに語学や武術などを学び、中国の女性と結婚をした。ラモさんというとても素敵な女性だ。気功・太極拳の先生とのことだ。

私はアンジェロに、無為寺の後で旅にでたのは初めてなこと。今の仕事のこと。結婚して新婚旅行でインドに来たこと。昔の仲間のことなど。短い時間でいろいろな話をした。バラナシでのこの後の予定を聴かれたので、特にないことを伝えたら、是非うちで食事をしようとお誘いを頂いた。とても嬉しい。 早速、今日の7時にアンジェロのお家に訪問することが決まった。アドレスと電話番号を教えてもらい、お互いまだ食事の途中だったので、それぞれのテーブルで食事の続きをした。また夜にと、アンジェロ一家はレストランを後にした。アンジェロが店を出た後も、しばし興奮は続いていた。

その後、私達もレストランを後にして、ここまで来た目的であったオープンハンドに行ってみた。ここは靴を脱いであがるタイプのカフェで、店内では多くの西洋人がくつろいでカフェやスイーツを楽しんだり、読者をしたりしていた。デザインの良いインド製の衣服や雑貨なども取り揃えてある。私は特に購入したものはなかったが、妻はスカーフを一枚購入した。 妻は少しお買い物モードに火がついたようで、ここまで来るときに少し立ち寄った雑貨屋に再びもどり、ポシェットもご購入。もちろん値段交渉もしました。させました。最初の言い値の1/3くらいまで値切って交渉成立になったのだが、それでもまだボラれているんだろうな。でも、妻がその値段で納得して交渉が成立するのだから、もはやその値段はボる、ボラれるではないのかもしれない。お店のにいちゃんはニヤニヤしてた。よい感じのツーリストプライスで売れたんだろう。こうして値段交渉することも旅の良い思い出だ。

買い物も終わり、満足した私達はサイクルリクシャーを使って宿の近くまで戻った。オートリクシャーも好きだが、私はサイクルリクシャーのこのゆったりとした感じがたまらなく好きだ。

ケーダルシュワール・ゲストハウスに戻った私達は、今晩のアンジェロ宅訪問まで、少しのんびりと過ごすことにした。

・・・ 少しお腹が痛くなってきた。トイレに行ったのだか、すっきりとでない。少ししたら治るかもしれない。ベットで休むが、しばらくするとまたお腹が痛くなってくる。三度、四度とトイレへと行くが、やはりすっきりと出ない。しぶり腹(裏急後重)という症状に近い。もしかしたら赤痢かもしれない。そんな不安が横切る。細菌性赤痢の特徴である血便はでないので、大丈夫であろうと信じたいところだが、腹痛は治らない。腹痛に伴い、吐き気ももよおしてきた。

これはちょっとまずいかもしれない。仰向けに寝てると腹痛がますので、うつ伏せや横向きに丸まって寝るほうがほんの少し腹痛がやわらぐ。寄せては返す波のように、腹痛がやってきて、トイレに行く。少し落ち着いて横になる。そしてまた腹痛がやってくる。

これは、もうアンジェロ宅に行くのは無理だ。そう決断し、アンジェロに電話をした。レストランをでたあとに宿に戻ってから激しい腹痛が始まったので今日は行けなくなったとお断りの連絡をいれた。

自分でお腹を押してみる。押しても痛みはない。お腹を押して、離すときに痛みが増すようであれば、腹膜炎の症状であるので一刻も早く病院に行かなくてはならない。でも、今のところ腹膜炎の症状はなさそうだ。赤痢の症状とされる粘血便もない。でも、もはや様子見だけでは解決しないところまで来てしまった気がする。きっと大丈夫であろうという希望的観測を重ねても今ある症状は改善することはない。

妻に頼んで、医者の手配をお願した。ケーダルシュワール・ゲストハウスのオーナーであるミントゥさんは、日本語がとても流暢なので、こういうトラブルのときには本当に助かる。近所の医師はお正月休暇で留守にしているので、少し離れた所の医師を手配してくれた。少し時間がかかるとの事。

医師を待つ間も、周期的に腹痛が襲ってくる。何度トイレにいっただろう。寒気もでてきた。とても寒い。毛布に包まって、海老のように丸まって耐えた。ここまでお腹が痛くなったのは、高校生のときの虫垂炎いらいだ。寒気がするのは発熱が始まったからであろう。意識が少しぼーっとしてきて、うとうとしても、しばらくすると腹痛がやってきて起こされる。時間がたつのがとても遅い。

基本的に同じものを食べている妻は平気だ。違うことといえば。食堂にある生水を飲んだことだろうか。俺はインド経験者だから大丈夫なんていう根拠のない甘い考えがあった。多少の菌を入れて身体を慣らしたほうがいいとか、腸内細菌のレパートリーを増やすなどと冗談交じりにそんなことも言ったりしていた。でも、それは間違いであった。インドをなめていた。やはり水は気をつけなくてはならなかった。どうか、何かのご縁でこの記事を読んで、これからインドに行く方がいらっしゃいましたら、どうか生水には気をつけてください。

やがて、医師が往診に来てくれた。ミントゥさんが私の言う症状をヒンディー語に訳して医師に伝えてくれた。脈や血圧をはかり、お腹の触診をしてもらった。押しても痛い所はないが、腹痛は激しいし、もはやトイレには20回くらいいっているだろう。

入院が必要かもしれないと言われた。薬を飲んで、一晩ここで様子をみることもできるし、今から入院することもできる。どちらにするかと。判断は私次第だと。

妻は、入院しておいでと言っていたが、ここで入院をしたら、いろいろな予定が崩れていってしまう気がした。粘血便や反跳痛(お腹を押して、離すときに痛みが増すこと)の兆候がないことから、私は入院はせず、ここで一晩様子をみる選択をした。

医師が処方箋を書いてくれた。妻に往診料を手渡してもらった。その医師はガンガーをしばし眺めた後に帰っていった。物静かな感じの良い医師だった。その後、妻がミントゥさんに付き添ってもらい、処方箋をもって薬を買いに行ってくれた。

3種類の薬が処方された。痛み止め、下痢止め、吐き気止めらしい。薬を服用した。

下痢をした時に役立つかもしれないからと、妻はポカリスエットの粉末を持ってきていた。ミネラルウォーターに混ぜてポカリを作ってくれた。

薬が効いていたのだろうか。腹痛の症状は治まってきた。そのまま私は眠りにはいった。

夜中に何度か起きたが、腹痛は再発することはなかった。ポカリスエットで水分補給をして、再び眠りにつく。妻に迷惑をかけたという気持ちとともに、感謝の気持ちが生じた。私とともにいてくれて、ありがとう。

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