shantipapa’s blog

私の人生の記録です。節約、Apple、代替医療、瞑想など

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旅の一枚 上海のシンボル 東方テレビ塔と陸家嘴

上海の中心部を流れる黄浦江を境に、上海市は浦西と浦東にわかれています。上海の町を彩る西洋風の古建築がならぶ外灘地区は浦西にあります。

黄浦江を望む外灘地区の遊歩道は上海屈指の観光名所で、外国人はもちろん、たくさんの中国国内の観光客でにぎわってます。結婚写真をここで撮影するのがブームのようで、ウェディングドレスで着飾った花嫁花婿がポーズを決めて写真撮影している様子をよく見かけました。

写真はこの外灘から河の対岸をみた風景です。「陸家嘴」という地区で、上海のみならず中国の金融中心となる地区です。写真左寄りに見えるひときわ異彩を放つ塔は高さ486mの東方テレビタワー(東方明珠電視塔)です。492mの上海环球金融中心、421m金茂大厦など、超高層ビルが建ち並ぶ風景は、発展をつづけ激変する上海を象徴する風景となっています。

それにしても、このテレビ塔。近未来的であるが、ちょっと間の抜けたデザイン。愛すべき存在です。完成したのは1994年11月。もう二十歳超えたんですね。

旅の一枚 上海 怡和洋行大楼

上海の黄浦江西岸を走る中山東一路沿いは外灘(Wàitān)と呼ばれ、19世紀後半から20世紀前半にかけての古い西洋式の建築が並んでいます。

写真の建物は怡和洋行大楼といいます。怡和洋行はイギリスのジャーディン・マセソン(Jardine Matheson)というイギリス系の国際企業で、もともとは東インド会社を前身とする貿易商社でした。

アヘンと茶の貿易により莫大な利益を上げたジャーディン・マセソンは、1840年から行われたアヘン戦争に深く関わっています。

清国にアヘンが蔓延し、人民の風紀が退廃し、またアヘンの購入に銀が使われ、国内で流通する銀保有量が激減しました。 清朝政府はアヘン禁止令を強化し、アヘンの輸入を規制しようとした際に、ジャーディン・マセソンはイギリス国会のロビー活動を行い、イギリス軍派遣決定に大きな影響を与えアヘン戦争が勃発しました。

2年におよぶアヘン戦争に負けた清国は1842年8月29日、不平等な南京条約に調印し上海を自由貿易港として開港しました。その後、この外灘地区は100年続いた上海共同租界の中心地区として栄え、西洋式の建物が建てられていきました。

何気なく撮影した、この一枚。この立派な建物はなんの建物だろうと調べ始めたことがきっかけで、アヘン戦争のことや上海の歴史の一部を垣間見ました。

そして、いま。時代は変わり、かつての西洋列強の中心で覇権国家であったイギリスは中国に列車や原発建設の支援を求めるようになりました。

驕れる者久しからず
ただ春の夜の夢の如し

旅日記5 新年のバラナシ。古い友との再会と激しい腹痛

2016年。新しい年の幕開け。 初日の出を拝みに行こうとガンガー沿いのガートへ来てみたが、朝靄がすごすぎて何も見えない。インドの列車は遅れるのが当たり前なくらいよく遅れるが、それは霧のせいだと宿のオーナーが言っていた。特に今の時期が一番霧が出やすいのだという。 さすがに、この霧だったら列車も遅れるなと思った。 ダシャーシュワメート・ガートも霧で覆われているが、人は多かった。ここで朝のチャイを一杯。

写真は妻です。2016年の幕開け。彼女はガンガーを前にどんなことを想いながらチャイを飲んでいたのだろうか。

やがて、8時を過ぎたころ、霧の向こうに太陽が見えてきた。その太陽はくすんだオレンジ色をしていて、まぶしくなかった。バラナシのガートから見る対岸は砂浜があるのみで建物などは一切ない。黄泉の国に相当するものだという。なにもない対岸の上に存在するまぶしくない太陽は、私に心の奥底で不安さを少し呼び起こすような感覚を引き起こした。

このあと、火葬場があるマニカルニカー・ガートへと足を運んでみることにした。マニカルニカー・ガート手前のあたりで、インド人がこの先の火葬場は撮影禁止だと注意を促してきた。はい。わかってます。と一眼レフをバックにしまった。そのインド人は私達と一緒に歩き、いろいろ説明をしてきた。遺体を荼毘に付すのに用いる薪の話がでてきたときに、やはり来たかと思った。このマニカルニカー・ガートは勝手にガイドをはじめ、薪代を請求してくる事例がとても多いことを予めネットや地球の歩き方などで知っていた。私達は相手にせずに、火葬場に近づきすぎず、少し遠巻きに立ち上る炎を眺めていた。

しばらくして、別のインド人がやってきて、また勝手ガイドを始めた。今度は話すときにこちらに目をあわせず、耳元で不気味な話し方をする初老の人だった。近くの建物を指差し、あそこのホスピスには死を待つ者が大勢いる。彼らはここバラナシに死ぬために来たのだ。ホスピスの中を見学したいか?一人の死体を焼くのにどれくらいの薪の量が必要か。いったいどれくらいの薪代が必要か。貧しい者は薪代を払うことができない。あなたのカルマのために、薪代を払ってほしい。そんなことを耳元で囁いてくる。相手の表情をみても視線はそらしたままだ。立ち上がる炎のほうをずっとみている。私はその男性が瞳孔が横にのびた不吉な山羊のように見えた。勝手ガイドに霹靂としてきて、妻もここを立ち去りたがっていたので、その男性を無視して、マニカルニカー・ガートを後にすることにした。立ち去る私達の後ろで、No good karmaだ。と男性が叫んでいた。

このようなことは、ここインドではよくあることだ。断るときははっきり断る。嫌だな、オカシイなという雰囲気を感じたら速やかに立ち去る。これがトラブルに巻き込まれないための第一条件だろう。

だからといって、話しかけてくる人を全て無視したり追い返しても旅は面白くない。気持ちがギスギスしてくるし、だんだん惨めな気持ちにもなってくる。できたらお土産を買ってもらいたい、ガイド料をもらえたら嬉しいと考えながらも、基本的には旅行者と話しがしたいだけ。日本人と沢山話して日本語がもっと上手くなりたいだけと思っているインド人も多い。

私は、観光客を狙うようなインド人でも、挨拶してくれたら挨拶で返し、話しかけられたら基本的に答えるようにしている。現地の人との会話は避けずにたのしみつつ、断るときははっきりと。嫌なときにはさっさと立ち去る。そんなスタイルで旅をしている。

バクシーシ(喜捨・施し)についての私の考え、スタンスも良い機会なので記したいと思う。私にとってバックパッカーのスタイルで旅をするのは15年ぶりだ。かつての旅で私はいろいろなことを学び、経験し、そんなひとつひとつの出来事が、今の私の一部となっている。今回の妻とともに訪れたインド新婚旅行だが、私にとってはインドという国に対しての恩返しの意味も少しある。なので、バクシーシを要求された場合は、多少積極的に施しを行うようにしている。もちろん、要求されたら無条件で渡すことはしない。何かしらの心動かされるものが感じられた場合にバクシーシを手渡す。バクシーシを渡すのに財布を出すのは嫌なので、10rs札をなるべくズボンのポケットに用意するようにしている。

また、バクシーシを渡したくない時、もしくはしつこい客引きなどを断る時に有効なのが、合掌だ。心静かに合掌して少し頭をさげると、不思議と諦めて帰ってくれる。これはぜひ試してほしい。

さて、マニカルニカー・ガートを後にした私達は、旧市街の狭い路地を歩き、ゴールデン・テンプルのほうへと行ってみた。ゴールデン・テンプルはバラナシの信仰の中心となるお寺で、ものすごい長蛇の行列ができていた。そうだ。今日は1月1日、元旦だ。インドに暮らす人々の初詣なのだ。かつてゴールデン・テンプルは外国人は入れなかったのだが、現在では、仏教徒の日本人はゴールデン・テンプルに入ることができる。仏教はヒンドゥー教の一流派であると見なされているとのこと。だが、あまりの長蛇の列に、ゴールデン・テンプル参拝は諦めた。またいつか機会があるだろう。

今日はクリシュナ・ゲストハウスからケーダルシュワール・ゲストハウスに部屋を移動しなくてはならないので、朝の散歩はこれくらいにして、宿に戻ることにした。帰り道、インドのモディ首相と安倍首相が写った看板を目にした。2014年にモディ首相が訪日した時には京都を案内したとのこと。そして今回、私達がバラナシを訪れる少し前に安倍首相がモディ首相の故郷でもあるバラナシを訪問したとのこと。私の大好きなインドと日本の関係が良くなることは、とても嬉しいことだ。

宿の近くに野菜の露天商が集まっているエリアがある。長期滞在できるなら、野菜や果物を買い込んで料理すると楽しそうだなと思った。今は日本で仕事があるので、そういうことはできないけど、日本ではないどこかで生きていく選択肢も悪くないかもしれない。

さて、宿に戻った。手早くパッキングを済ませて、ケーダルシュワール・ゲストハウスへと移動した。楽しみにしていたガンガービューの部屋だ。めったに使わないiPhoneのパノラマ撮影モードでバルコニーからの写真を撮ってみた。少し値段は張るけど、せっかくのインド旅行。限られた時間を楽しみたいのでこの部屋に泊まることにした。なにしろこれは、新婚旅行でもあるのだ。

1時間ほど、気持ちの良いバルコニーでガンガーを眺めながらぼぉ〜っとして過ごした。私は日本ではコーラやファンタなどあまり飲まないが、インドのLimca(リムカ)はなぜか大好きだ。このちょっと強めの炭酸と甘すぎないレモン風味がたまらなくうまい。ガンガーをのんびり眺めながら飲むリムカはまた格別だ。炭酸飲料1本でこんなに幸せな気持ちにさせてくれるのもまた、ガンガー効果だろう。

お昼も過ぎた頃、散歩がてらにアッシー・ガート近くにあるオープンハンド(Open Hand)というカフェ兼お土産物屋に行ってみることにした。途中、HAPPY NEW YEAR 2016と書かれたオートリクシャーを発見。なんとも微笑ましく可愛い。

オープンハンドはバラナシの中でもすこし離れた地区にあるが、iPhoneにインド現地のAirtel SIMを刺しているので、問題なくグーグル・マップが使える。昔は紙の地図を片手に歩いたものだが、なんとも便利になったものだ。途中いくつかの雑貨屋などにも立ち寄り、目指すオープンハンドの前まで到着したのだが、今日はまだお昼ご飯を食べてない。先にご飯を食べようということになった。

オープンハンドもカフェなので、食事をすることもできるが、妻がローカルフード食べたいと言った。この言葉は私にとってもなんとも嬉しい一言だ。私達は近所のローカル食堂を探すことにした。周囲を歩いてみたところ、考えていたよりすこしばかり高そうだが、Shiva Restaurantというインド料理屋があったので、そこで食事をすることにした。

私も妻もターリーを注文し、食事が来るのを待っていたときに、西洋人から声をかけられた。 「エクスキューズミー。もしかして、あなたは昔、中国のお寺にいませんでしたか?」

「アンジェロ!?」 突然の出来事だった。私は昔、中国雲南省大理にある無為寺というお寺で2ヶ月住込みで太極拳をならったことがある。それは私の人生に大きな変化を及ぼした経験だった。そしてアンジェロは無為寺で共に太極拳を修行した友だ。もう15年前の話だ。 なんという偶然であろうか。15年という歳月を経て、ここバラナシで。この時間にこの場所まで歩いて来て。たまたま見かけた食堂に入った。 妻がローカルフードが食べたいと言わなければ。きっとこの再会はなかったであろう。 偶然とは思えない偶然の一致。インドという国を覆う何かしらの力。インドの神様か何かが微笑んで祝福してくれているような気がした。

アンジェロはここバラナシで暮していて、もう二年以上たつらしい。無為寺での修行をきっかけとして、彼は太極拳や中国文化に強く魅かれ、中国に留学をした。そしてさらに語学や武術などを学び、中国の女性と結婚をした。ラモさんというとても素敵な女性だ。気功・太極拳の先生とのことだ。

私はアンジェロに、無為寺の後で旅にでたのは初めてなこと。今の仕事のこと。結婚して新婚旅行でインドに来たこと。昔の仲間のことなど。短い時間でいろいろな話をした。バラナシでのこの後の予定を聴かれたので、特にないことを伝えたら、是非うちで食事をしようとお誘いを頂いた。とても嬉しい。 早速、今日の7時にアンジェロのお家に訪問することが決まった。アドレスと電話番号を教えてもらい、お互いまだ食事の途中だったので、それぞれのテーブルで食事の続きをした。また夜にと、アンジェロ一家はレストランを後にした。アンジェロが店を出た後も、しばし興奮は続いていた。

その後、私達もレストランを後にして、ここまで来た目的であったオープンハンドに行ってみた。ここは靴を脱いであがるタイプのカフェで、店内では多くの西洋人がくつろいでカフェやスイーツを楽しんだり、読者をしたりしていた。デザインの良いインド製の衣服や雑貨なども取り揃えてある。私は特に購入したものはなかったが、妻はスカーフを一枚購入した。 妻は少しお買い物モードに火がついたようで、ここまで来るときに少し立ち寄った雑貨屋に再びもどり、ポシェットもご購入。もちろん値段交渉もしました。させました。最初の言い値の1/3くらいまで値切って交渉成立になったのだが、それでもまだボラれているんだろうな。でも、妻がその値段で納得して交渉が成立するのだから、もはやその値段はボる、ボラれるではないのかもしれない。お店のにいちゃんはニヤニヤしてた。よい感じのツーリストプライスで売れたんだろう。こうして値段交渉することも旅の良い思い出だ。

買い物も終わり、満足した私達はサイクルリクシャーを使って宿の近くまで戻った。オートリクシャーも好きだが、私はサイクルリクシャーのこのゆったりとした感じがたまらなく好きだ。

ケーダルシュワール・ゲストハウスに戻った私達は、今晩のアンジェロ宅訪問まで、少しのんびりと過ごすことにした。

・・・ 少しお腹が痛くなってきた。トイレに行ったのだか、すっきりとでない。少ししたら治るかもしれない。ベットで休むが、しばらくするとまたお腹が痛くなってくる。三度、四度とトイレへと行くが、やはりすっきりと出ない。しぶり腹(裏急後重)という症状に近い。もしかしたら赤痢かもしれない。そんな不安が横切る。細菌性赤痢の特徴である血便はでないので、大丈夫であろうと信じたいところだが、腹痛は治らない。腹痛に伴い、吐き気ももよおしてきた。

これはちょっとまずいかもしれない。仰向けに寝てると腹痛がますので、うつ伏せや横向きに丸まって寝るほうがほんの少し腹痛がやわらぐ。寄せては返す波のように、腹痛がやってきて、トイレに行く。少し落ち着いて横になる。そしてまた腹痛がやってくる。

これは、もうアンジェロ宅に行くのは無理だ。そう決断し、アンジェロに電話をした。レストランをでたあとに宿に戻ってから激しい腹痛が始まったので今日は行けなくなったとお断りの連絡をいれた。

自分でお腹を押してみる。押しても痛みはない。お腹を押して、離すときに痛みが増すようであれば、腹膜炎の症状であるので一刻も早く病院に行かなくてはならない。でも、今のところ腹膜炎の症状はなさそうだ。赤痢の症状とされる粘血便もない。でも、もはや様子見だけでは解決しないところまで来てしまった気がする。きっと大丈夫であろうという希望的観測を重ねても今ある症状は改善することはない。

妻に頼んで、医者の手配をお願した。ケーダルシュワール・ゲストハウスのオーナーであるミントゥさんは、日本語がとても流暢なので、こういうトラブルのときには本当に助かる。近所の医師はお正月休暇で留守にしているので、少し離れた所の医師を手配してくれた。少し時間がかかるとの事。

医師を待つ間も、周期的に腹痛が襲ってくる。何度トイレにいっただろう。寒気もでてきた。とても寒い。毛布に包まって、海老のように丸まって耐えた。ここまでお腹が痛くなったのは、高校生のときの虫垂炎いらいだ。寒気がするのは発熱が始まったからであろう。意識が少しぼーっとしてきて、うとうとしても、しばらくすると腹痛がやってきて起こされる。時間がたつのがとても遅い。

基本的に同じものを食べている妻は平気だ。違うことといえば。食堂にある生水を飲んだことだろうか。俺はインド経験者だから大丈夫なんていう根拠のない甘い考えがあった。多少の菌を入れて身体を慣らしたほうがいいとか、腸内細菌のレパートリーを増やすなどと冗談交じりにそんなことも言ったりしていた。でも、それは間違いであった。インドをなめていた。やはり水は気をつけなくてはならなかった。どうか、何かのご縁でこの記事を読んで、これからインドに行く方がいらっしゃいましたら、どうか生水には気をつけてください。

やがて、医師が往診に来てくれた。ミントゥさんが私の言う症状をヒンディー語に訳して医師に伝えてくれた。脈や血圧をはかり、お腹の触診をしてもらった。押しても痛い所はないが、腹痛は激しいし、もはやトイレには20回くらいいっているだろう。

入院が必要かもしれないと言われた。薬を飲んで、一晩ここで様子をみることもできるし、今から入院することもできる。どちらにするかと。判断は私次第だと。

妻は、入院しておいでと言っていたが、ここで入院をしたら、いろいろな予定が崩れていってしまう気がした。粘血便や反跳痛(お腹を押して、離すときに痛みが増すこと)の兆候がないことから、私は入院はせず、ここで一晩様子をみる選択をした。

医師が処方箋を書いてくれた。妻に往診料を手渡してもらった。その医師はガンガーをしばし眺めた後に帰っていった。物静かな感じの良い医師だった。その後、妻がミントゥさんに付き添ってもらい、処方箋をもって薬を買いに行ってくれた。

3種類の薬が処方された。痛み止め、下痢止め、吐き気止めらしい。薬を服用した。

下痢をした時に役立つかもしれないからと、妻はポカリスエットの粉末を持ってきていた。ミネラルウォーターに混ぜてポカリを作ってくれた。

薬が効いていたのだろうか。腹痛の症状は治まってきた。そのまま私は眠りにはいった。

夜中に何度か起きたが、腹痛は再発することはなかった。ポカリスエットで水分補給をして、再び眠りにつく。妻に迷惑をかけたという気持ちとともに、感謝の気持ちが生じた。私とともにいてくれて、ありがとう。

旅日記4 大晦日のバラナシ

まだ暗いうちに目が覚める。車窓から見える風景がぼんやりと薄明るくなってきた。そんな景色をうとうとしながら眺めていた。7時半頃に駅に停車した。グーグルマップで現在地を確認したところAllahabad Junction という駅だった。

海外を旅するときに現地SIMが使えるのはとても便利なものだ。もちろん日本のキャリアが提供する海外ローミングでも同様なことはできるのだが、値段が桁違いだ。だいたいの価格であるが、中国でもインドでも初期費用でだいたい1200円くらいで1GBのデータ通信+通話が可能となる。1日ではなく、滞在期間でその値段だ。パケット容量が足りなくなれば追加もできる。事前の下調べなど必要であるが、この便利さは変えがたい。現地SIMをいかにして使うかが、次世代型バックパッカーの要点になってくるだろう。

Allahabad Junctionで朝のチャイを購入し、車両にもどった。列車は2時間以上遅れている。バラナシにつくのも遅れるだろう。これもインド時間、のんびり待つとしよう。

異国の列車に揺られ車窓を眺める。いま自分は旅をしていると心から感じるひとときだ。私はこんな時間が好きだ。

お隣の席に座っていたビハール出身の紳士が朝コーヒーを私たちにも振舞ってくれた。旅のひとときの出会い。ありがとうと言うと紳士も嬉しそうにしてくれた。

やがて列車はバラナシ・ジャンクション駅に到着。インドの列車は基本的に駅に着く前に何のアナウンスもない。おまけによく遅れるので、旅行者は気をつけてないと目的地で降り損ねる恐れもある。なので、長距離列車に乗る際には、近くのインド人に目的地を伝えておいて、目的地が近くなったら教えてもらうと良いと思う。 私はiPhoneGoogle mapでいま列車が走っている位置を確認して、目的地のバラナシ・ジャンクションが近いことを把握していたのだが、隣のベットのビハール州出身の紳士も、私達のことを気遣って、地図を見ていてくれた。その心遣いが嬉しかった。ありがとう。

車両を降りると、Kedareswarでお願いしておいたピックアップの方が私の名前を書いた紙をもって待っていてくれた。彼の車はオートリキシャではなく、普通の4輪自動車だった。バラナシはデリーに比べたら田舎であるが、それでも道行く車やリキシャ、バイクの数は多い。おまけに牛が道の真ん中で寝ていたりする。これぞインドって感じが湧いてくる。この方は、私達が日本人だとわかると「Prime minister Abe」の話しをし始めた。安倍総理のことか。私は知らなかったのだが、インドを訪問した安倍総理がバラナシにも来たらしい。その時にはバラナシ中の商店が全て閉まったとのことだ。

ガンガー沿いのバラナシ旧市街は車やリキシャの乗り入れができないので、近くのGodauliya Lanka Rdに車を停めて、そこからはゲストハウスまで歩いた。バラナシ旧市街の細い路地を歩く。もう何年ぶりになるだろう。26歳になったときだ。あの時は中国の上海に船で入り、陸路中国を西に進みチベットからネパールに入り、その後インドのここバラナシにたどり着いた。その時が僕にとっての初めてのインド。そして17年の時を経て、いままたここバラナシを歩いている。

やがて私達はチョーキーガート近くのケーダルシュワールゲストハウスに到着した。オーナーのミントゥさんは日本語がとても達者だ。ここバラナシには3泊する。せっかくなのでガンガービューの部屋に泊まりたい。今日はこちらのケーダルシュワールは満室なので、今日の宿泊は姉妹ゲストハウスのクリシュナゲストハウスに泊まり、明日部屋を移動して、ケーダルシュワールのガンガービューの部屋に2泊することとした。また今晩ゲストハウス近くの別会場で大晦日インド音楽コンサートがあるというので、参加してみることにした。

クリシュナゲストハウスはケーダルシュワールから歩いて5分ほどのところにあった。オーナーのミントゥさんのもともとの実家を改装したらしい。まだ新しく綺麗な宿だ。荷物を置いてほっと一息。長時間移動して、ゲストハウスにチェックインし、荷物をおろす瞬間。この瞬間がたまらない。ほんのりとした疲労感、そして、宿の外に広がる街中。これからこの街でどんな出来事があるんだろう。そんなワクワクだろうか。心躍るひとときだ。

さて、今回の旅では、着替えをあまりもってきていない。上海から旅を始め、デリー、列車泊と今日で4日目。そろそろ洗濯をしなくてはならない。街を少し散歩がてら洗剤を買いに外にでることにした。洗剤はそこらにある商店で小袋にはいったものが買える。レセプションでWhere's general store? (雑貨屋はどこ?)と聞いてみた。受付のお兄さんがComeと案内してくれたのだが、雑貨屋ではなく、もとのケーダルシュワールゲストハウスに案内されてしまった。ケーダルシュワールとクリシュナゲストハウスは歩いて5分ほどなのだが、細い道をジグザグに曲がっていくので、最初はわかりにくい。なので気を使って案内してくれたのだろう。このケーダルシュワールゲストハウスはベンガリートラ・ロードに続くメインロード沿いにあるので、この道沿いに商店やカフェなどたくさんある。

洗剤だけ買って、すぐに宿に戻るつもりだったのだが、ガンジス川(以下、ガンガーと呼ぶ)近くまで来たので、このままガンガー沿いを散歩することにした。

ここは特別な場所だ。ヒンドゥー教の聖地バラナシ。 帰ってきたという気持ち。また来れたという気持ち。 嬉しくワクワクする気持ちもありつつ、心の奥はすっと静まってもいた。似ているものも違うものも溶け合うような、そんな気持ちが生じた。

まだバラナシには来たばかりだ。お腹も空いたし昼飯でも食べようということにした。ガンガー沿いのアジャイ・ゲストハウスの屋上レストランで食べることにした。ガンガーを眺めながらのランチなんでいいじゃないか…と思って入ったのだが、注文したフードがなかなか来ない。30分待ち、40分待ち…あとから入ってきた金持ちインド人の注文したものが先に出てくる始末。ずっと座っていると、曇り空を通り抜けてきた太陽光線にじりじりと体力が奪われていき、なんか我慢大会みたいになってきた。妻も消耗してきている様子が見て取れたので、日陰の席に移った。やがて1時間弱ほどして、私たちの頼んだ料理が運ばれてきた。まぁ、味は普通。普通に美味しくいただきました。

その後は、ベンガリートラ・ロードにでて、バナ・ラッシーという評判の良いラッシー屋さんに行ってみた。私はバナナココナッツ・ラッシー、妻はパパイヤ・ラッシーを注文した。うん。これはうまい!芸術的ラッシーだ。

その後、最初に外に出た目的であった洗剤を買って宿に戻った。シャワーをあびつつ、バケツにお湯をいれて洗濯をした。洗濯物を干したら、昨晩からの列車での移動と街歩きの疲れがでてきた。妻ももううとうとしている。ほんの少し仮眠をとることにした。

一時間半ほど眠っただろうか。外はもう暗くなってきていた。日没後に行われるプジャ(礼拝)はぜひ見ておきたい。私たちは再び、日が沈み暗くなったバラナシの街にでた。

ダシャーシュワメート・ガートの前は人だかりができていて、プジャーが行われいた。響き渡るタブラーのリズム。炎の舞とともに神への祈りが捧げられる。涙を流している婦人がいた。これは本来、観光客用の見世物でなはく、ヒンドゥー教の儀式なのだ。

私は宗教全般が結構好きだ。好きというのも、少し変な言い方かもしれないが、とにかく好意的に思っている。若い頃は宗教なんて全く興味がなかったのだが、大学4年の時に初めて海外を旅した時に、チベットに行き五体投地を見た時に、何かが変わったのを覚えている。「あぁ。心から信じられるものがあるのは、きっと幸せなことなんだろうな。」そんなことを思ったことを思いだす。時がほんの少しとまったような感覚。人々の祈りのつぶやき。紺碧の空。繰り返される五体投地。そんな20年前の旅の一幕がここバラナシで思い出された。

さて。今日は大晦日。2015年の締めくくりは、インド音楽の生演奏を聴きながらディナーだ。ケーダルシュワール近くのシャンティ・ゲストハウスという宿が主催する年忘れインド音楽パーティー。購入したチケットに8時からと書いてあったので、8時ぴったりに行ってみたら、演奏者四人の到着と同時になったが、観客は他にだれもいなかった。やがて、30分ほど時間がたつとある程度観客もあつまり、1時間ほどして、かなり席がいっぱいになってきた。インド時間の8時開始は8時から少しずつ人が集まり始めるということのようだ。

やがて、インド音楽の演奏がはじまった。タブラーのリズムが心地よい。歌い手がとても表情豊かに楽しそうに歌っていたのが印象的だった。

食事はインド料理のビュッフェ。美味しくお腹いっぱいに頂いた。インドと日本の時差は3時間半。食事をしながら、日本はもう年が明けているな。ふとそんなそことを考えた。

食事のあと、インド音楽第二幕があり、年を越したらハッピーニューイヤーのケーキがあったそうなのだが、私たちは移動などで疲れもでてきていたので、晩御飯を食べて少ししたら、会場を後にした。

シャンティ・ゲストハウスを後にして宿へ戻る。バラナシの夜道は少し緊張するが、何事もなく宿に到着。2015年もこれで終わり。今年は結婚もしたし、こうして妻とインドに新婚旅行に来ている。良い年であった。

自宅VPNとComicShareで最高のコミック閲覧環境ができました

VPN導入のきっかけ

年末年始に中国インド旅行を行く際に、以前よりずっと実現したかった自宅VPNの導入に踏み切りました。理由は渡航先でのWifi環境接続をする場合の通信の安全を確保したかったためです。というのはこじつけで、ずっとずっと自宅VPNをしてみたかった!という好奇心と自己満足のための導入というのが本当のところでしょうか。

少し設定に苦労しましたが、無事自宅VPNを構築して日本をでました。旅行中は特に中国で役立ちました。中国ではGoogle規制があり、Google検索やGoogleMapなどが利用できません。でもVPN張れば全て解決。上海空港で中国联通 China Unicom のSIMをゲットしましたので、SIMフリーiPhoneに差してGoogleMapで道案内してもらったり地下鉄のルートをしらべたりできました。おっと。タイトルと話がずれてきてました。

ComicShareとの出会い

さて、日本に戻り自宅VPNをどのように活用しているかですが、ComicShareという素晴らしいコミック閲覧ソフトを見つけたので紹介したいと思います。

値段は記事作成時点で360円です。このComicShareというのは、サーバー上の画像ファイルをiPhoneiPadで直接閲覧できるソフトです。Comicという名前が付いている通り、漫画本を読むことに特化してつくられています。電子書籍化した漫画というのは一枚一枚のjpeg画像をZipやRARで圧縮して一つのファイルにするのが普通で、多くの電子書籍ビューワ(特にi文庫やComicGrassなどの漫画を読むことを主目的としたソフト)はこのZIPやRARでまとめられたファイルを直接よめます。

で本題。このComicShareが優れているのはサーバ上にある漫画ファイルをストリーミングで読むことができることです。これはつまり、VPNを構築して外出先から自宅のサーバやNASにアクセスできれば、いつでもどこでも自宅に保存してある電子書籍ライブラリにアクセスできるということになります。いままでもiPhoneiPadで漫画を読むことはできましたが、あらかじめ端末にファイルを転送しておく必要がありました。ですが、ComicShare + VPN + 自宅サーバ があれば、その必要もなく、通信環境さえあれば、思い立ったときに、読みたい漫画を読めるという環境ができます。これは自分にとっては革命的な出来事でした。

複数デバイス間で既読・未読の情報をシンクできる。ストリーミングはもちろん、ダウンロードして読む事も可能。

ComicShareはiPhoneでもiPadでも利用できるユニバーサルアプリです。VPN自宅サーバにアクセスすれば、同じ漫画にアクセスできます。

iPadでアクセスしてみました。4巻目31ページまで読んだことになってます。

iPhoneで同じフォルダにアクセス。同じく4巻目31ページまで読んだことになってます。

iPhoneで47ページまで読み進めてみました。

iPadでの表示も即座に47ページまで既読になってます。

ダウンロードもできます。右上の「編集」ボタンをタップ。

外出先での通信量はなるべく節約したいですね!とりあえず4巻〜10巻までダウンロードしてみます。

ダウンロード中です。やっぱり自宅wifiは速いですねー。

iPadの端末内にダウンロードした漫画を読み進めてみます。

5巻目の30ページまで読みました。

iPadのローカルにダウンロードした既読情報が、iPhoneでみたサーバ上の既読情報にもちゃんと反映しています。ユーザーのことをしっかり考えた素晴らしい設計です。

追記:個人用データ保管庫の最高峰 Drobo

VPNからアクセスできるデータ保管庫として、常時起動したコンピュータをサーバとして稼働させてももちろん良いですが、我が家はDrobo君を稼働させています。DroboというのはHDDが5台まで入るケースのようなものですが、複数のHDDをとりまとめ、ひとつのドライブとして使用します。RAIDという仕組みです。

その際にデータは複数のHDDに分散、重複して書き込まれるため、たとえDroboに差し込んだHDDのうち1台のHDDが故障してもデータは安全に保たれています(シングルディスク冗長化)。より安全性を高めたい場合は、設定により2台のHDDの故障まで対応できるようにできます(デュアルディスク冗長化)。またHDDの故障や、容量追加などもHDDを入れ替えるだけで、自動的にデータの分散、重複化の処理をしてくれます。安全性と利便性の高いデータ保管庫として機能します。

企業などのファイルサーバとしては向かないですが、個人宅もしくはSOHO用途でしたらおすすめできます。(たとえ、デュアルディスク冗長化をしていたとしても、データを失う可能性はあるので、重要なデータは2重3重のバックアップをしてくださいませ)

Droboにはいくつかの種類があり、USB3.0とThunderbolt端子を備えたDrobo 5Dと、イーサーネット(Gigabit Ethernet port)を備えたDrobo 5Nがあります。Drobo 5Dはコンピュータに直接接続するタイプなので、VPNで外部からデータにアクセスしたい場合、常時起動したコンピュータが必要です。すでにサーバが立ち上がっている環境でしたら、コンピュータのバックアップなどもできるので良いと思います。

複数のコンピュータやデバイスから同じデータにアクセスしたい場合はネットワーク接続のDrobo 5Nが向いてます。直接接続の5Dより読み書きの速度は遅いですが、同一LAN内の全ての端末から利用できます。自宅VPNが構築されていれば、どこからでも自宅の巨大で安全なデータ保管庫にアクセスできるという利便性があります。

個人的なDrobo活用法について

さて、私がこのDrobo君をどのように活用しているかですが、うちの設定はシングルディスク冗長化で使っています。HDDの1台の故障は対応できますが、2台の同時故障はアウトです。私は絶対失ってはならないデータは2重3重のバックアップをとってます。普段使いのMacBook ProはTime Capsuleで自動バックアップされ、さらにDropbox経由でクラウドにも同期されています。職場のMacもTime Machineの設定で自動的にバックアップされてます。

よって、Droboはメディア保管庫としての役割が主となってます。今回のような漫画を含めた電子書籍全般。いままで撮りためた写真、動画など。写真や動画などは溜まってくるととても容量が大きくなってきます。そのような大きいデータも、自宅で安全に保存できるのはとても心強いです。

あ。でも、大切なデータはバックアップ。一生懸命スキャンした電子書籍のデータが全部消えちゃったりしたら泣きますので。

話があちこち飛びましたが、ComicShare最高!というお話でした。 ^o^

旅日記 3 デリーを離れる

インドに着き、一夜明けた。 窓がない部屋なので時間の感覚がわかりにくいが、7時前に目が覚めた。身支度などを整え、8時少し前にチャイでも飲みに行こうと外に出た。そのまま駅に行き、予約していたキャンセル待ちの予約がどうなっているのかも確認しに行こう。メインバザール入り口にほど近い駅前のところに、食べ物屋が密集しているところがある。そこでまず朝ご飯を食べた。そのあとチャイを飲む。地元の人達と同じものを食べ、同じようものを飲む。そんな当たり前のことがとても楽しく心地よい。

その後、デリー駅二階の外国人専用の予約オフィスに行った。順番待ち番号の券を発行するタッチパネルの反応が悪く、何度も押したら少し間があり、押した回数分の順番待ちチケットが出てきてしまった。よく見ると同じように押してしまってたくさん出てきたチケットが上に乗せてある。次に来た西洋人の人も同じように何度も押し、チケットが何枚もでてきていた。

私達の順番がきた。まずは先日クリアトリップで列車の予約をしたのだが、キャンセル待ちでどうなっているのかが知りたいと伝えた。するとすぐにコンピュータで調べてくれた。まだウェイティングのままだという。確実に今日行きたいのなら、チケットを今取りなおしたほうがよいと。昼前11時半の列車なら空いているという。さすがにあと2時間半ほどしかないので、忙しすぎる。その他の今日の列車だと夜8時半発の列車がある。しかし、一番高価な1stAC。だが、今回の旅は期限も限られているので、今日確実に行きたい。そこで予約をお願いし、その後の日程のバラナシ→アグラ、アグラ→ジャイプール、ジャイプール→デリーのチケットも手配してもらった。これで旅の移動の確保ができた。一安心。

その後、南インド料理店で昼ご飯を食べた。私が食べたミールスはまぁまぁ美味しかったのだが、妻が注文したビリヤーニはイマイチ。米でなく、細かく刻んだ麺が使われていた。妻にとっては初ビリヤーニだったのに、これがビリヤーニだと思われたら損失である。機会をみつけて美味しいビリヤーニを食べてもらう。

宿に戻った。チェックアウト時間が12時なので、その前にチェックアウトするか、延長するかの手続きをしなければならない。 レセプションで、「今日の8時半の列車でバラナシにいく。半分払うから7時まで延長させてくれ」と交渉してみた。通常延長は半値で5時までだ。だが私達は日本人を尊敬している。だから6時までなら特別にオッケーだ。だが、1分でも6時を過ぎたら全額払うということで、6時までの延長してもらった。

次はクリアトリップで予約した列車のキャンセル。オンラインでキャンセルのボタンを押したが、8時〜12時まではIRCTCの受付が停止しているので、12時以降に再度手続きするようとの表示がでた。 1時間ほど待って、12時になってすぐに再びキャンセルのボタンを押したら、キャンセルできないとの事。予約状況を再び確認したら、キャンセル待ちだったのが席が取れていた。IRCTCに連絡してくれとの表示。この宿は一階にシゲタトラベルという旅行代理店を併設していて、日本語が通じる信頼できる旅行代理店という情報を知っていたので、率直に聞いてみることにした。そしたら、一度座席番号が決まってしまったら、オンラインではキャンセルできないとのこと。勉強代だと思い、キャンセルは諦めた。

次はSIMのアクチベーション。昨日SIMを購入した時には翌日(今日)の12時にアクチベーションできるとショップの人が言っていた。アクチベーションにはある番号に電話をして、質問に答えてパスポート番号の下4桁を伝えるらしいのだが、電波を拾ってないのでアクチベーションすることができない。そこでふたたびショップに行ってみた。すると、12時ではなく、2時〜4時だと。12時を過ぎてから2〜4時間くらいで電波を拾うようになり、端末からアクチベーションできるようになるから待てと言われた。本当にできるようになるのか??と疑念が湧いてきたが、ここは言われたままに待つしかないだろう。

夕方6時のチェックアウトのまで、少し時間があるので、その後コンノートプレイスまで散歩してみた。

コンノートプレイスを歩いていたところ、iPhoneがブルっとしてSMSが届いた。Airtelの電波を拾っているではないか。すぐにアクチベーション用の電話番号にかけてみる。自動音声のガイダンスにしたがって、パスポート番号の下4桁を入力した。すると少しして、3Gの表示がでて、パケットを拾うようになった。よし。 これでネットができるようになったと思ったのもつかの間、ページにアクセスできない。どのページを開いてもAirtelのページに転送され、ネットのプランを始めるというボタンがでてくる。そのボタンを押すと、インターネットが使えるようになったと表示されるのだが、ページを見ようとしたら、また同じAirtelのページに転送される。うーん。無限ループだ。パケット残をみてみると、0rs、0mbとなってる。リチャージが必要なのか?通話とネット容量が500MBくらいあるものだと事前のリサーチで思っていたのだが。Airtelのページからオンラインリチャージしようとしても先に進めず、よくわからないので、やはりここはまた聞いてみるのが早いと思い、三たびショップへ。

アクチベーションは恐らくできたのだが、ネットが通じないと言ったら、店員が見せてみろといい、私のiPhoneをチョコチョコ操作した。するとSMSがきて、残り容量が1GBくらいだと表示されてこれでオッケーだと。試しにYahoo!にアクセスしたら、ちゃんと表示された。いやはや。インドでのSIM購入はなかなか苦労させられたが、これで私のiPhoneがインドの地でも牙を取り戻した。

宿にもどり、パッキングを整えてチェックアウトをした。列車の時間まで少しあるので、歩き方にも載っていて、トリップアドバイザーでも評価の高いSams cafeに行ってみることにした。1Fと屋上にカフェがある。1Fから入ると客はいなく、飾り気のあまりない感じだった。屋上がいいと言ったら、店員が案内してくれた。屋上のカフェ空間は別世界だった。真ん中に芝生と植物を植えた空間があり、綿と電飾、キラキラした星型の飾りがしてあり、クリスマスのような飾りつけがしてあった。そして猫が3匹もいた。黒猫の子猫2匹に茶トラが1匹。素敵な雰囲気のカフェだ。

メインバザールを行き交う人々を上から眺めるのは楽しい。よくもこんなたくさんの人、リキシャ、バイクがぶつからずにいられるものだと思う。

ここはピザが大変おいしかった。 バラナシについてからの宿がまだ決まってないことが心配だと妻が言うので、Aruccoに載っている評判の良さそうなKedareswar bed and breakfastに電話してみた。この宿の主人は日本語が話せると書いてあったので、そのまま日本語で話してみたところ、普通に会話ができた。残念ながら明日は部屋の空きがないというが、姉妹ホテルのKrishna guest houseが空いているとのこと。Krishna guest houseにはさほど魅力はなかったのだが、Kedareswarのガンガービューの部屋に泊まりたかったので、Krishnaのほうに一泊して、その後Kedareswarに移動して二泊ということで予約をした。また駅までピックアップもしてくれるというので、お願いしておいた。こういうときに、やはり現地SIMが使えるのは心強い。普通に電話して予約したりできるし、google mapで地図をみたり、経路案内もできる。

そして、いよいよ列車。8時半発の列車は、すでに8時過ぎにはホームに停まっていた。立っていた係員に1ACの車両はこれだと言われてのったが、自分の場所がわからない。どんどん乗客も入ってくる。とりあえず空いていた寝台にすわり、前のインド人にここは1Aかと聞いてみた。すると、ここは2Aだと。1Aは隣だと言われて移動してみると、確かに1Aの車両があった。外にでて車両の前の張り紙を確認したら自分の名前が載っていて一安心。寝台につくことができた。

列車の移動は旅の中でも思い出に残るイベントだ。 ベジの車内食を頼んでみた。けっこう美味しくて完食。

車両は古いが、一等寝台は快適だ。となりのビハール州出身のおじさんも物静かな紳士だった。心地よい揺れのリズムに身を任せて、いつしか眠りについた。

旅日記2 上海からデリーへ

中国東方航空のデリー行きは思っていたほどキツくなく、予定より1時間ほど早くデリーについた。着陸時に見えるその土地の表情は、ほんと各国で違う。上海の印象は泥水の海、黄色い国土という印象だった。デリーは、夜に到着したのもあるが、夜景の光がオレンジ色一色なのが印象的だ。

デリー国際空港はとても広く、そして綺麗だった。現代建築にみられる無機質な美しさではなく、温かみのある美しさで来国客を歓迎してくれた。

まずは、ルピーを手に入れなければならない。税関をでた正面にあったATMでキャッシングしようとしたが、機械の調子が悪いのかガタガタゴトゴト音がしたまま固まって使えるの気配がなかった。インド人が横から画面を覗き込んできて、これは使えないから向こうのを使えという感じで言ってきた。デリー空港を警戒していた私は、そのインド人のことが信用できず、「わかっているからあっちに行け」と追い返してしまった。結局もう一台のATMを使い、現金を引き出すことができた。

※ かつてのデリー国際空港ははじめてインドに来た旅行者を騙そうとする輩でいっぱいだったのだが、2、3年前に政府の指導がはいり、かなりそのような事例は改善されたらしい。空港の建物内に入るのも入り口の警備員にe-ticketの控えを見せなくてはならないなど警備体制もきびしく、空港で客引のインド人に囲まれるようなことはもうあまりなさそうだ。

さて、ルピーもゲットしたし、ここから安宿街メインバザールに向かう。タクシーを使っても、目的の場所まで連れて行ってくれないなどの事例が沢山あるので、私達はエアポートメトロでニューデリー駅まで行くことにした。そこまで行けば、駅の反対側がメインバザールだ。空港を出たとたんに沢山のインド人が私達を騙そうと話しかけてくるものと期待していたが、あっさりとほとんど声をかけてくる人達はいなかった。エアポートメトロのトークン(切符)販売機の所で、機械の操作方法を隣にいたインド人が親切に教えてくれたくらいだった。

エアポートメトロは近未来的な内装だった。いままでのインドとは感覚が違うぞ。上海の磁浮ほどではないが、インドも発展しているんだと実感した。

ほどなく、エアポートメトロは終点ニューデリー駅に到着。ここからメインバザールまでがもうひと難関。数々のインド人が私達を騙そうと手ぐすね引いて待っていると警戒して臨んだ。メトロの構内で三人組の韓国人旅行者に声をかけられた。我々はデリーが初めてで不慣れなので、一緒にメインバザールまで言っていいかと。日本人二人、韓国人三人の計五人の小隊でニューデリー駅越えを敢行することにした。

どこかに線路を超える立橋のようなものがあるのかと想像していたのだが、ニューデリー駅向かって右側の橋のようなものは鉄格子で入れないようにされていた。どのようにしたらいいのかわからなかったので、こういう場合は素直に聞いてみることにした。ライフルを持っている警備員(警察?軍人?)のような人に、我々はメインバザール・ババールガンジーに行きたいので、線路の向こう側に行きたい。どのようにしたらいいのか?と聞いてみた。軍人は向こうだとジェスチャーで示してくれた。行ってみると、階段があり登ってみると、荷物検査のX線検査機があり、駅構内への入り口のようだった。結局、駅の中に入らなくては向こう側に行けないのだ。

駅の中を通過して、無事に線路の反対側、メインバザールにたどり着いた。韓国人三人組とはここでわかれた。メインバザールまでに向かうまでのほんのひとときのグループ行動。一期一会。ここ近年中国も韓国も嫌いになっていたが、旅のいいところは人との出会いが、そのような嫌い嫌い病を癒してくれることだろう。

さて宿探し。エアポートメトロの中で、歩き方を調べて、2年前にできたナタラージイエスプリーズにしようと思い、目指すことにした。予め通信回線がなくてもオフラインで地図が使えるようにグーグルマップの訪問予定の年のデータはダウンロードしておいた。だが、なぜかグーグルマップの現在地表示がおかしくて、メインバザールとは全然関係ない場所を示す。地図として使い物にならない。 もうひとつ、CityMaps2Goというアプリでopenmapsのデータをダウンロードしておいた。こちらの地図ではきちんと現在地を表示している。そこで、CityMaps2Goでナタラージイエスプリーズを目指したのだが。表示していた場所には目的のホテルはなかった。openmapsは世界中の誰もが編集追加できるフリーの地図だ。地図のウィキペディアみたいなものと表現したらいいだろうか。だが、正確性に欠けるところがある。情報量、正確性、見やすさでグーグルマップに勝てるものは存在しないとつくづく感じた。結局、歩き回り、本店であるコテージイエスプリーズにたどり着いた。部屋を見せてもらったが、窓がなく、居心地はあまり良さそうではなかったのだが、疲れていたし、明日バラナシに行く予定なので、チェックインした。

少し一休みして、晩御飯を食べに街に繰り出す。インド人で賑わっている食堂に入って、ビンディマサラとパラクパニールを頼んだ。チャパティをちぎり、食べる。食べる。美味しいさとともに、インドに来たんだという喜びが脊髄を登り上がって来るような感覚があった。 食事を食べ終え、ラッシーを飲んだ。あぁ。インドに来た。メインバザールを行き交う人々、オートリキシャやバイクのクラクション。騒音。そんな混沌に包まれながら、ラッシーを味わい、インドに帰って来たんだと実感した。

宿の前にAirtelの代理店があったので、SIMを買うことにした。SIMが使えないiPhoneは牙を抜かれた猛獣のようなものだ。iPhoneはSIMがあって初めてその威力を発揮できる。海外で現地SIMを使う。それは私の趣味であり、ロマンだ。

予め、パスポートサイズの証明写真が必要なことなどはリサーチ済だったので、すんなりとSIMの契約はできSIMを手に入れることができた。だが、インドのSIMは手に入れただけでは通信できず、アクチベーションを自分で行わなければならない。これが難関だ。アクチベーションは明日の12時以降だと言われたので、そのまま宿にもどった。

部屋にもどり、ホットシャワーを浴びようとしたが、お湯がでない。24時間ホットシャワーOKがこの宿の売りだろ。ということで、フロントにホットシャワーが使えないと言いにいった。お湯の栓は左側だと言われたが、左側をひねっても出ない。部屋まで従業員がついてきて、左側の栓をひねる。5分待てと。ひねってすぐにお湯がでるのではない。出しっぱなしで、5分しなければお湯にならないという。言われた通りに待っていたら、確かにお湯になってきた。暖かいシャワーを浴び、すっきり。 寝る前にiPhoneに入れていたチャイナユニコムのSIMをAirtelのSIMに入れ替えた。まだ電波はひろっていない。No Signalのままだ。使えるのは明日アクチベーションが終わってからだろう。 眠りについた。