shantipapa’s blog

私の人生の記録です。節約、Apple、代替医療、瞑想など

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旅日記8 アーグラー・タージマハールはやはり壮大だった

私達の乗った14863 Marudhar Expressは時刻表によれば6時10分に到着予定だったが、二時間ほど遅れてAgra Fort駅に到着した。

駅の外にでて、まずはチャイを一杯。移動で少し疲れた身体にこの甘いチャイがしみわたる。

さて、宿であるがアーグラー滞在は1泊と短いのでタージマハルに近い宿という条件で、ホテルカマルを候補にした。駅前よりオートリクシャーにのって目的の宿であるホテルカマルへとやってきた。

http://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g297683-d754720-Reviews-Hotel_Kamal-Agra_Uttar_Pradesh.html?m=19904

リクシャーワーラーは、私達に一日観光を執拗に勧めてくる。アーグラーの主な観光スポットをまわってくれるのだが、私達は自分たちのペースでのんびり観光がしたい。断っても、しつこく勧めてくる。結局、宿のレセプションまでついてきて、ずっとツアーに行かないか?と宣伝してきていた。

今回のインド旅行で発見したのだが、物乞いでもリクシャーでも、しつこく付きまとわれたときには合掌か有効だ。合掌して丁寧に少し頭を下げて断ると、相手も諦めてくれる。とても有効なので、ぜひ試してみてほしい。くれぐれも下品な追い返し方はしないでほしいなと願っている。偉そうだが、彼らにも生活があり、売り上げをあげたいのだ。ここは彼らの国であり、私達は旅行させていただいている。そんな気持ちを忘れずに私は旅をするように心がけている。

部屋は新館のちょっといい部屋にした。まだ9時くらいだったのだが、部屋も空いていてもう使っていいというので、部屋に入り、肩から荷物を降ろした。新しい街にうつり、部屋を決め、荷物を降ろす。旅をしていれば当たり前のそんなことが、とても心地よい。30分ほど身体を休めて、このままタージマハル観光に行くことにした。アーグラーは一泊二日。タージマハルは明日の朝一に行くプランも少し考えたのだが、勢いで今日見てしまおうということになった。素晴らしくてもう一度みたくなれば、また明日行けばいいだけだ。

ホテルカマルからタージマハル南門までは歩いて5分くらい。南門へ向かう道沿いにはたくさんのお土産屋があり、タージマハルのミニチュアや大理石の小物などかたくさん売っていた。

チケット売り場でチケットを購入。外国人価格で750ルピーとなかなかの値段だ。チケットを買うとペットボトル入りのお水と、靴袋がついてくる。気をつけたい点として、タージマハルは持ち込みが禁止されているものが大変多いということがある。例えば飴、ガムなどのお菓子、ジュース、タバコ、ライターなど。世界遺産であるタージを汚す危険のあるものは持ち込み禁止となっている。カメラやモバイルはオッケー。余計な荷物は宿に置いてくると良いと思う。

手荷物検査はけっこう厳重で、カバンの中もきちんとチェックされる。といっても、手荷物検査があるということは知っていたし、余計なものも全て置いてきてあるので、すんなり終わった。

手荷物検査を終えて敷地内にはいるとまず見てるのが赤いメインゲート(大楼門)だ。まだここからはタージは見えない。

このメインゲートをくぐる。光の向こうに白亜のタージマハルが姿を現わす。

そして、メインゲートを通り抜けると、目の前にタージマハルが全貌を明らかにする。

なんという美しさであろうか。妻が見たいと願っていたタージマハル。人生の伴侶とともにここを訪れることができた喜びを圧倒的な美しさとともに味わった。

タージマハルの美しさには言葉は要らない気がする。 人類の宝と言っても良いだろう。遠くからみると真っ白に見えるタージマハルも、近くでみると実に様々な模様が描かれている。壁を彩る幾何学的模様。そして細部を彩る植物の模様。

これは象嵌という手法で作られた模様で、大理石に色石を嵌め込み磨いて模様を浮き出させてある。赤い花弁は光を通す石で、タージマハル内部の暗いところでこの赤い花にペンライトを当てると光って浮かび上がる。

神は細部に宿るとはまさにこういうことを言うのであろう。

遠くからみて完璧な美しさを誇るタージマハルは、細かいところの美においても妥協がなかった。

じっくりとタージマハルの美しさを堪能した私達は、木陰のベンチで少し休んだ。この時期のインドは暑くない。移動の疲れとタージ観光の満足感が混じりあう。心地よいそよ風が抜けていった。私達はしばし、タージマハルを眺めながら、ぼ〜っとした時間を過ごした。

妻との結婚前、まだ出会ったばかりの頃。初デートは都内の少しだけ高いインド料理店に行った。その後公園に行き、旅の話、インドの話などをした。妻はもともとヨガを行う人だったので、興味を持って聞いてくれた。「いつかタージマハルを見に行きたい」とその時妻は言った。連れて行ってあげたいな。インドだけではない。世界中のいろんなところに。そんなことを言ったことを思い出す。まずはひとつ。約束を果たすことができた。

さて、時計をみると、11時近く。お腹もすいてきたので、タージマハルを後にして少し早いがご飯を食べることにした。宿の近くのSankara Vegis Restaurantがトリップアドバイザーの評価が高かったので、行ってみた。このレストランは屋上でタージマハルを眺めながら食事ができるのも売りのひとつだ。

こんな感じで遠くにタージが見える。タージ観光の興奮の余韻を味わいながら料理をたべるのもなかなか良い。 料理もなかなか美味しかった。日本でインドの話をすると「インドは本当にカレーばっかりなの?毎日カレーであきないの??」と言われることもあるが、私は毎日でも平気だ。ほとんどすべての料理にスパイスが使われているが、スパイスのハーモ二ーを楽しめるようになると、インド料理が本当に好きになってくると思う。あと、ダル(豆のスープ)の旨さに気がつくと、もうインド通でしょう。

食事を終えて、宿に戻った。移動のつかれも残っていたので、シャワーを浴びて、少し仮眠をとった。二時間ほど寝ただろうか。

夕暮れ時には、ぜひ河の反対側からタージを眺めたい。私達は再び宿をでて、ヤムナー河の対岸にあるイティマド・ウッダウラー廟 (Itmad-ud-Daula) とメフタブ・バック (Mehtab Bagh) に行ってみることにした。

まずついたのは、イティマド・ウッダウラー廟。ムガル帝国の第4代皇帝ジャハーンギール帝の妃ヌール・ジャハーンがその父母のために1628年に建てたものだという。

タージマハールよりはるかに小さいが、象嵌細工がとても美しい。この小ささと美しさが相まって、この場所がとても愛らしい存在のように思えてくる。

建物の中は、ふたつの棺が並んでいた。タージマハールも、ここイティマド・ウッダウラー廟もお墓なのだ。

このふたつの棺は、とても暖かい存在のようにおもててくる。柔らかい光が差し込んでいる。美しい場所だ。

天井の模様も驚くほど緻密だった。

イティマド・ウッダウラー廟は夕陽スポットを訪れる途中になんとなく立ち寄ってみた場所だったのだが、こんな素敵な場所だとは思ってもみなかった。アーグラーに来たら、是非立ち寄ってほしいオススメの場所である。

さて、夕暮れ時も近づいて、締めくくりはやっぱり夕焼け空に映るタージマハールを見たいということで、メフタブ・バックへ向かった。

ここメフタブ・バックは、タージマハルからヤムナ河を挟んで向かいあるところで、ここには黒いタージマハルが建築される予定だった場所だ。タージマハルはムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの妻ムムターズ・マハルのためお墓で、その向かいに黒い自分のお墓を建てようとしていたのだが、失脚してしまい、黒タージマハルの計画は幻に終わったのだという。

夕陽を眺める。旅にでて好きなことのひとつだ。

毎日日が昇り、そして沈んでいく。普段仕事に追われ、生活に追われていると、なかなか夕陽を見ることも少ないし、気にをかけないことも多い。仕事も生活ももちろん必要であり大切だが、たまにこうして夕陽を眺められる時間も大切にしたいなと思う。

観光を終えた私達は、アーグラー市内にもどって、晩御飯を食べる場所を探すことにした。

今日はチャパティ(少し小ぶりの発酵さえていないナン) にこだわって食堂を探してみることにした。判断基準はタンドールがあること。フライパンでもチャパティは焼けるが、やっぱりタンドール(釜)で焼いたチャパティのサクサク感は格別だ。

道沿いにあるローカル食堂を5件ほど見てみたが、タンドールを備えているところはなかなか見当たらない。もうこの近辺ではないのかなぁ。などと思って歩いていた。

インドではとにかく良く声をかけられる。お土産屋、リクシャーワーラー、そして只話したい人など。ちょうど若い兄ちゃんに、「ハロー。何か探しているの?」と声をかけられた。タンドールチャパティを探していると答え、練って広げたチャパティの生地をタンドールの内側に貼り付ける動作をしてみた。すると通じて、「タンドール・ロティ!」と兄ちゃんは言った。ロティとはチャパティのこと。 「Come !」とすぐ近くの食堂に案内してもらった。お店の中にはタンドールは見当たらない。タンドールを見せてくれと言ったら、奥の厨房に案内してくれた。

そうそう。これこれ!このタンドールで焼いたチャパティが格別なのだ。

「お前もやってみるか?」と、妻にタンドール焼きをチャレンジしてくれた。手で生地を伸ばして、専用の枕に生地をのせて、タンドールの内側に貼り付けます。しばらくして焼けたら金属製の先がフックになった棒で引っ掛けてチャパティを取り出す。妻にとって思い出に残る良い経験となったと思う。

メニューは、オクラのスパイス炒め(ビンディーマサラ)、Stuffed tomato (Bharwan Tamatar) 、そしてせっかくタンドールがあるので、タンドリーチキンを頼んでみた。

味は満足。やっぱりタンドールで焼いたチャパティは美味しい。表面のサクサク感がありつつ、中はふっくらさを残している。たまらない。

あとここのお店で美味しかったのはStuffed tomato だ。他のカレーより少し高いのだが、手が込んでいて美味しい。今晩の食事は大変満足の行くものであった。

その後、食堂をでて、宿まで歩いて帰った。2kmほど離れていたが、グーグルマップさんに案内してもらい、迷うことなく帰ることができた。

宿にもどり、ほどなくすると観光の疲れもでてきてぐっすりと眠りについた。

私は瞑想でパズドラを止めました

電車に乗っていて思うのがゲームをやっている人がとても多いということです。

そういう私も以前、パズドラにはまって課金までして遊んでいました。ゲームというものは非常にうまく欲望と嫌悪を刺激するようにできています。このことに気がついたのは「ベルゼブブ降臨!」をプレイしていた時です。プレイしている最中、盤面の毒ドロップをみて、「ゲームとはすなわち、欲望と嫌悪である」と実感しました。

私達がゲームをやめられなくなる仕組み

欲望と嫌悪を効率良く交互に引き起こすことによって、脳内でドーパミンの放出を促して、私たちはゲームの虜になっていきます。心理学的に計算しつくされて設計されてます。

  • 欲望
    • 毎日、魔法石がもらえる
    • レアガチャで金の卵がでる
    • ねらっていたボスが卵をドロップする
    • コンボが決まる
    • などなど
  • 嫌悪
    • レアガチャでノーマル卵がでる
    • 盤面を毒ドロップに変換される
    • ミスしてコンボが決まらない
    • などなど

たとえば、レアガチャで必ず金の卵しかでなければ、すぐに強いモンスターがあつまり、飽きてしまいます。金の卵の確率は低くなってるからこそ、それがでたときの脳内ドーパミン放出量は莫大です。ドーパミンは私達の根源的な快感を司っています。とっても気持ちいいんです。知らず知らずに、あの気持ち良さをもう一度。あの気持ち良さをもう一度…とゲーム中毒になっていきます。

ドーパミンの快感からは簡単には抜けられない

そうして、私達はゲームをやめられなくなります。 初めの頃は新鮮で新しい発見もたくさんあったゲームも、強くなってくるといつのまにか「作業」となってきます。どこかで、「時間の無駄だなぁ」という思いは有っても、止められない。

手塩にかけて育てたキャラクターを捨てるのは勿体無い。そんな思いが、ゲームを止めることを引き止めます。そして、今日もドーパミンを出すために、ゲームをやるわけです。

ドーパミンによる快感は中枢神経の報酬系という回路に組み込まれていて、生物が生き残り、種の繁栄をしていくために必須のものです。「時間の無駄である」という理性をいとも簡単に凌駕します。ゲームだけでなく、全ての依存症はこのドーパミンによる快感を欲することにより成立します。

私は瞑想でパズドラを止めました

私は一昨日、10日間の瞑想合宿に参加しました。朝4時に起きて、夜10時の消灯まで、食事と自由時間以外はひたすら瞑想します。ヴィパッサナー瞑想といい、日本では京都と千葉に日本ヴィパッサナー協会のセンターがあります。

コース中は五戒(殺さない、盗まない、性行為を行わない、嘘をつかない、酒・麻薬類を摂らない)を守ります。また、携帯電話やタバコなどは全部コース開始前に預けます。

瞑想の基本は、様々な事象をとにかく観察して、平静でいること。身体の感覚。心地良い感覚もあれば、嫌な感覚もあります。10日間は、心地良い感覚を追い求めない、嫌な感覚に嫌悪を抱かない。そんな訓練をします。これは平静な心を養います。

思考を手放す訓練もします。ある思考が次の思考を呼び起こし、思考の連鎖により私達は行動しています。これは何故手放す必要があるのでしょう。

私達人間が人間であるのは、この思考することによるものですが、思考をすることによって様々な苦悩も生まれてきます。思考というのは、その性質上、ほとんどが過去か未来、もしくは想像上の世界を漂います。

思考をすることにより、「今、ここ」から遊離してしまうのです。コース中の10日間は、思考を手放す訓練をします。何か考え事が浮かんでも、それをそっと置いておく。そして周りの風景、音、身体の感覚などをただ観察します。良いも悪いもなく、ただそのままを受け入れます。

タバコなども一気に断つと身体はいろんな反応を起こします。そんな反応もとにかく観察します。そして平静でいる訓練をします。

しばらくすると、私達はいかに思考が思考を呼び、世の中の事象をありのままに見ていないか。私達はいかに渇望を常に追い求めていて、嫌なものから逃げようとしているか。そんなことが見え始めてきます。

10日間がんばると、終わるころには心がとても落ち着いていると思います。10日間、ゲームもやめたし、タバコを吸わなかった。またパズドラすることもできるし、タバコを吸うこともできる。 もしくは、パズドラをしない。タバコの一本を吸わないという選択もできます。平静さが養われているので、止めやすくなっています。パズドラをしたい。タバコを吸いたいという気持ちが起きたら、それを観察します。そうすると、パズドラやタバコへの渇望は、だんだん萎んで行くと思います。

私はそうして、一昨年の暮れにパズドラとタバコを止めました。

ヴィパッサナー瞑想はここでできます

日本ヴィパッサナー協会 ヴィパッサナー瞑想にもいくつか流派がありますが、私はヴィパッサナー協会のコースに参加しました。日本だけでなく、世界中にセンターがあります。

本もあるので紹介しておきます。この本は瞑想のテクニック本ではないので、この本を読んで自分で瞑想をすることはできないのですが、瞑想が何を目的としているかなど、とてもよくわかります。

近年、瞑想は「マインドフルネス」という概念とともに急速に広まりつつあります。プレジデントの最新号が禅・瞑想特集だったのがきっかけで、この記事を書こうと思い立ちました。今日仕事帰りに買ってみようと思います。

かのグーグルもマインドフルネスを社内研修に用いてます。瞑想って、実は世界的な能力開発の実践手段として広まってきてます。

では、今日はこのへんで。

「スマホ投資術」を読んで情報収集力がアップしました

昨年秋より始めた株式投資ですが、一進一退というところです。昨年だけですとちょびっとプラスですが、年初来の暴落でかなりの損をしてしまいました。

株なんてしてなければ…という思いもほんのり浮かんだりしましたが、ここで負けてはいけない。相場に居続けることが大切だと思ってます。そして、勘だけで勝てる甘い世界でないことがよくわかりました。

最近は、紙の本を見直してきていて、良く本屋に行きます。ふと目にとまったのが「スマホ投資術」という本。

まずは立ち読み。成功している先人たちの情報収集の仕方が書かれていて参考になります。私もよく読まさせていただいているマーシさんの株日記のことも書かれていました。知っている情報が少し書かれていると安心するのは人間の常でしょうか。笑 購入の決め手になったのはツイッターのフォローリスト。携帯の安売り情報などを得るのにツイッターを活用したことはありましたが、株や為替情報で活用したことは無かったです。

早速、この本を購入して、帰りの電車内で載っていたツイッターのフォローリストを片っ端からフォローしてみました。

すると、様々な人がツイッターで情報発信をしていて、自然と世の中のトレンドがわかってきます。今日はディープラーニング人工知能がアツイとか。

先週中頃に調整十分だと思って購入した 6778 アルチザ。今朝、人工知能関連を寄りで購入するために、手放したところ、みるみる急騰。ストップ高手前です。くやしい。

でも、波を捉え始めることが少しずつできているような気がします。朝仕込んだ人工知能関連銘柄は少しホールドしてみよう。

旅日記7 サールナート観光、そしてアーグラーへ向かう

3泊したバラナシも今日で最後。夕方6時15分の列車でアーグラーに向かう。 元旦の朝はものすごい霧だったが、今朝は霧も少なく空気が比較的澄んでいる。ガンガーでみる朝日ももう見納めだ。

朝ごはんはオムレツ、トーストにコーヒーを頼んだ。妻が「これって黄身をあえてのぞいてつくってるのかな?」と言った。そういえば確かに白っぽい。さっさく調べてみた。検索窓に「インド 卵」といれたら、サジェスト機能で、「インド 卵 白い」と出て来た。同じように調べる人が沢山いるのね。それでもってわかったことは、世界的には黄身は白っぽいほうが主流であり、日本の卵は餌にパプリカやマリーゴールドの粉末を混ぜ込み、黄身の色が濃くなるようにしているらしい。農協がつくった黄身の色見本があり、消費者のニーズに合わせて黄身の色を調整しているのだと知った。私達日本人にとっては、黄身がきちんと黄色いほうが美味しそうに見えるが、インドの人々からすると黄身があまり黄色いと身体に悪そうだと思われるらしい。そうだったのか。

朝ごはん後、荷物をパッキングした。このガンガービューの部屋とも、もう少しでお別れだ。ちょっと高かったけど、この部屋にして良かった。この部屋の思い出には腹痛の思い出ががっちり結びついている。いやぁ、それにしても…あれは痛かった。本当、冗談じゃないくらい。治って良かった。

まだチェックアウト時間まで少しあるので、荷物は部屋の中においたまま、ガンガーに散歩にでた。ケーダルシュワール・ゲストハウスに一番近いガートはチョーキー・ガート(Chauki Ghat)だが、ふだんはそこから北のダシャーシュワメード・ガート(Dashashwamedh Ghat)にむけて歩いていた。今朝はまだ歩いていない南側に向かってみた。

船を修理している人々がいた。遠くに浮かんでいると小さくみえる船も、岸にあげられてみると、結構大きい。

ダシャーシュワメート・ガートから離れれば離れるほど、人の数は少なくなり、落ち着いた雰囲気となってきた。今日は空気も澄んでいて、とても心地よい日の光が降り注いでくる。しばらく歩いていたら、積み上げられた薪と、立ちのぼる炎が見えてきた。火葬場だ。

バラナシには火葬場が二つあり、ひとつはダシャーシュワメートより北に位置するマニカルニカー・ガート。こちらはメインとなる火葬場で、一日中火葬の炎が絶えない。そしてもう一つの火葬場が、ダシャーシュワメート・ガートより10分ほど南に歩いたこのハリシュチャンドラ・ガートだ。

天候が良いこともあるだろうが、ハリシュチャンドラ・ガートの雰囲気は非常に開放的に見えた。火葬のすぐそばで若者達がクリケットをして楽しそうに遊んでいる。生と死が本当に隣り合わせで、それが当たり前となっている。遺体を焼く炎。若者たちの遊び声。そして仔犬が母犬の乳に群がっている。そんな景色が違和感なく溶け合っていた。

火葬場を後にした私達は宿に戻った。チェックアウトをしなくてはならない。夕方の列車まで時間があるので、バラナシ近郊のサールナートに観光に行くことにした。オートリクシャーの手配は宿でお願いした。

バラナシ市内からサールナートまではオートリクシャーで40分ほど。道は凸凹、埃もすごいが私はリクシャーでの移動が大好きだ。

途中ガソリンスタンドに寄ったので、給油しているシーンを撮影してみた。オートリクシャーって、とてもキュートだと思う。給油しているところも素敵だ。 結構燃料って高いんだなと思った。ガソリンだか軽油だかはわからないが、1リッター65.51ルピーとある。1ルピーが1.7円くらいなので、リッター110円ほど。日本とさほどかわらない?聞くところによると、近年のルピー下落により燃料代があがり、リクシャーワーラーの生活は厳しくなっているらしい。上の写真の奥の方が私達が乗るリクシャーの運転手さんだ。

サールナートの近くになると木々が少し多くなってきた。えんじ色の袈裟をまとったラマ僧(チベット仏教僧)が歩いている。地図を確認してみるとCentral University for Tibetan Studies(チベット研究中央大学)のところを走っていた。ここは仏教四大聖地のひとつ。悟りを開いた釈尊が始めて説法を行った地だ。

やがてリクシャーが駐車場にとまり、リクシャーワーラーが、「私はここで待っているから見学してこい」と言った。この人は宿に迎えに来てもらったときから、ほとんど喋らなかったのだが、結構流暢な英語の発音をしていた。

さて、ここからサールナート観光。まず入ったところは、 ムールガンダ・クティー寺院(Mulagandhakuti Vihara Temple)。スリランカ寺だ。 結構観光客が多い。私は自分が仏教徒のつもりなので、仏教寺院にインド人観光客が来ていることが、なんだか嬉しかったりする。

お寺の中は、ブッダの一生が描かれていた。 仏陀の誕生 修行中の仏陀スジャータ村の村娘から乳粥が供養される 様々な誘惑に打ち勝ち悟りをひらく仏陀 殺人鬼アングリマーラへの説法 仏陀入滅 あとから知ったのだが、この絵を描いたのは野生司香雪という戦前の日本人画家だった。野生司香雪は大正6年仏教美術研究のためにインドに渡り、昭和7年にこのムールガンダ・クティー寺院の壁画『釈尊一代記』の製作を依頼されたとのこと。素晴らしい偉業だ。(野生司香雪さんについては、こちらのページ詳しい)

初転法輪(Dhamma cakka ppavattana sutta)。釈尊が悟りを開いた後、ここサールナートで5人の修行僧(比丘)たちに初めて行った説法の内容が書かれていた。この石板に書かれているSADHU! SADHU!! SADHU!!! というのは「私は同意します」という意味で、インドでよく見かける修行者のサドゥーではない。

こ お寺の裏手にある鹿公園では、仏塔が遠くに見える原っぱで、インド人達がのんびりピクニックをしていて、こちらものんびり朗らかな気持ちになれた。

ダメーク・ストゥーパ(Dhamekh Stupa)はサールナートでもひときわ目立つ、高さ43メートルの仏塔だ。このダメーク・ストゥーパの場所こそ仏陀が最初に説法を行った場所だという。 釈尊の死後200年たち、古代インドのアショーカ王は仏教と出会った。そしてその教えに心をうたれて、武力による統治からダンマ(法・ダルマ)による統治へと移り変わっていった。そして初転法輪の地である、ここサールナートに仏塔を建立し、多数の僧侶が仏教を学べる大規模な僧院をここに建てた。現在のこっているダメーク・ストゥーパは6世紀に建て替えられたものだが、アショーカ王統治時代の遺跡群はいまでもここに残っている。

アショーカ王が国策として仏教を広めたのがおおきなきっかけとなり、仏教は南伝、北伝という形で他国に伝わり、世界に広まっていった。釈尊ももちろんであるが、アショーカ王も、後世にどれくらいのおおきな影響を残したのだろう。

ムールガンダ・クティー寺院の壁画を描いた野生司香雪のこと、そして仏教を保護した大王であるアショーカ王のこと。サールナートを訪れ、写真を撮っているときのは知らなかったことである。後に写真を整理し、旅の記録をこうして残す段階で、調べてわかったことが沢山ある。

旅をして、いままで見たことのない景色をみる。時に写真をとることもあるだどう。旅から帰って、写真を振り返ったときに、ぜひ訪れたその場所がどういう場所なのかを調べてみると良いと思う。何かの縁があり、そこを訪れたのだ。その場所のことをよりよく知ることにより、次回につながるかもしれない。もしかしたら人生がほんの少し豊かになるかもしれない。

旅を通じて感性を養い、経験から知恵を養う。そして調べることにより知識を養い、それらが私たちの個性を養っていく。そしていつか旅は終わり、帰るべき場所に帰らなくてはならない。旅の時間が非日常であるならば、また日常の生活に戻っていかなくてはならないのだ。私は欲張りだから、旅に出る前の自分より、旅から帰ってきた後の自分のほうが少しでも良くなっていたいと思っている。 ふと、サールナートの写真をみかえして、思い出を振り返り、旅に出てよかったなという想いが込み上げてきた。

こちらの仏像は顔が削られていた。12世紀のイスラム教侵攻により、多くの寺院が破壊され、たくさんの僧侶が殺されたのだという。偶像崇拝を禁じるイスラム教の教義により、仏像の顔は削りとられたのだろう。そっと手向けられたマリーゴールドの花が悲しげな美しさをかもしだしていた。

ダメーク・ストゥーパも十分に見て満足したので、立ち去ることにした。帰り際、お弁当を広げピクニックを楽しんでいる人たちに出会った。穏やかな空気が流れている。サールナートに来て良かったねと妻が言った。

もう2時をまわっていて、お昼ご飯をまだ食べてなかったので、だいぶお腹もすいた。沿道で見かけたスナック屋台で軽く食事をすることにした。 この写真はスナック屋台の裏側から撮ったもの。奥に座って食べられるテーブルが用意してあったので、ゆっくり食べることができる。プーリーとかパコラは美味しかったのだが、チョウメンはなんか不味かった。滅多にだされたものは残さないのだが、ごめん。このチョウメンは無理でした。

駐車場に戻り、私達を連れてきてくれたリクシャーに乗り込んだ。またお楽しみのリクシャータイムだ。Googleマップで、現在地を追跡しながら流れ行く風景を楽しむ。行きとは違うルートを走っていた。すこしスラムっぽい雰囲気を感じ、しばらくすると巨大なゴミ捨て場が見えた。ビニールごみの量がすごい。残念ながらその写真はとれなかったが、豚たちがゴミの中から食べられそうなものはないか漁っている写真がとれた。

ふとニューデリー駅でみた看板を思い出した。 DESTROYING natute today, Disastrous FUTURE someday
ゴミ問題は大きな社会問題なのだろう。12億以上の人口を抱えるインド。発展しつつある経済。工業製品が溢れるにつれ、ごみの量も多くなってくる。ちょっと失礼な言い方をすれば、『分別せずに何もかもそこらに捨てるのが当たり前』というのがインド式だろう。当たり前なのだから、みんな直そうとしない。持続的かつ健全な経済発展のためには、教育こそ大切なのだろうと感じた。子供の頃から国を挙げてゴミのことを教えて考えさせていかないと、今後この国や世界はどうなっていってしまうのだろう。生分解しないゴミ。蓄積していく化学物質汚染。内分泌撹乱物質。そんなことをすこし考えさせられた。 (HUFFPOSTがこのインドのごみ問題について触れていた)

バラナシに戻った私達は、そのままガンガーを見に行った。これでガンガーも見納めだ。

人も動物も隣り合わせに存在するインド。そしてガンガー。私はこんな場所が好きだ。またいつかここに来たいと思う。アンジェロにも会いに来よう。

前回来た時も、今回も。私はガンガーで沐浴はしなかった。アンジェロにガンガーで沐浴はしたのか?と聞かれたときに、私は「していない」と答えた。するとアンジェロは「not yet」とつぶやいたのが印象に残っている。そう。私にとっては、「今はまだ」。いつかの楽しみに残しておこう。

ケーダルシュワール・ゲストハウスのミントゥさんが、沐浴をしなくても、頭にガンガーの水を少しふりかけるだけで清められるよ。と教えてくれていたので、私と妻は、最後にガンガーの水をお互いの頭にかけあった。

ガンガーを後にして、ケーダルシュワールの皆さんにご挨拶をした。さて、アーグラーに向けて出発だ。 通りにでて、オートリクシャーをつかまえてバラナシ・カント駅へと到着した。

私達の乗る列車は、14863 Marudhar Express。電光掲示板をみるとプラットフォーム9番から出発するようだ。A/Dというのは、Aはarrival 到着。Dはdeparture 出発だが、その駅が始発という意味だ。Marudhar Expreeはバラナシが始発なので、もうすでにプラットフォームに停車していた。

インドの寝台列車は予約した車両の入り口に乗客リストが貼ってあるのだが、自分の名前があるかどうか不安になる。ちゃんと私達の名前をみつけて一安心。時間ぎりぎりにいくと、かなり焦るので、時間の余裕をもって駅にいくと良いと思う。

前回、デリーからバラナシに来た時に乗った車両は1st AC (一等寝台) だったので、広々と快適だったが、今回は AC 3-Tier Sleeperというクラスで、三等寝台にあたる車両だ。ベットも三段となり少し窮屈だが、この窮屈さも旅の醍醐味かもしれない。

妻は三段ベッドの上段、私は中段だったのだが、列車の出発時には中段のベットは上げてあり下段に座れるようになっている。私はサールナート観光などもあり疲れていて座りながらうとうとしていたら、下段ベットのインド人女性が、気を使ってくれ「もう眠りたいか?」と聞いてくれた。ありがとう。

三段ベットをつくり、私達は早々に眠りについた。

「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」

私のマインドフルネスの先生が紹介してくれた本 「明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい」を読んでみたくなり、注文をしました。 がん患者に向けた本であるが、私達が一日一日を大切にいきていくのに大切な気づきがたくさん得られそうな本だと思い、読んでみようと思いました。

いろいろ思い悩むこともありながらも、毎日を生きていく。 本を読み終わったら、また感想など書きたいと思います。

妻の誕生日プレゼントにMacBookを贈りました

昨年の秋からブログを始めて、数ヶ月。記事数もPVも少ないですが、楽しみながら続けています。 書きたいことはたくさんあり、主に行き帰りの通勤時間を使って記事を書いています。

ブログを書くこと、その意味、意義。 妻には話しても、きっとあまり理解されないだろうと思い、話題にすることはあまりありませんでした。

先日、ちょっとした喧嘩をしました。ブログの記事を書くために上海のことについて調べていたときのことです。iPhoneでもしかしたら、こそこそと誰かと連絡をとっているのかもという不安がほんの少し浮かんだようです。

私は妻にちゃんと話をしました。自分がどのような考えでブログを始めたか。それを続けようとしているか。

翌日になり、妻と仲直りしました。そして、妻が言いました。「私もブログを始めてみようかな」 私達は昨年、2015年の秋に結婚をしました。その時のこと、特に都民共済を使って節約できるところは節約しながらも、お金をかけるべきところにはかける。そんな私達が行った結婚式のことを記事にしたいそうです。

それを聞いて、私も嬉しく思いました。 先日、妻の誕生日がありました。 私はプレゼントを2つ用意しました。 ひとつは、妻が欲しがっていたアクセサリーケース。高島屋で購入しました。

もう1つのサプライズで、MacBookを用意しました。妻がブログを始めて、自分を表現していく気持ちを応援したかったからです。

いままで、妻がパソコンを使った作業が必要なときには、私のお古のMacBook Airを貸していました。自由に使っていいよと言っても、自分のパソコンではないという思いは消えないので、日常で使うことはほとんどありませんでした。だから、妻専用のパソコンを用意してあげたいと思いました。

妻のiPhoneと同じ色のスペースグレイのMacBookを選びました。とことん使い倒してほしいから、3年保証のAppleCareもつけました。

私は私の。妻は妻の。 思ったこと、感じたことを、このネットの世界に刻んでいけたらと思います。いつか、もしかしたら、どこかのだれかの役にたつかもしれない。なにかいいことがあるかもしれない。

同じ方向を目指して共に歩んでいけることは、嬉しいことです。

旅日記6 バラナシ3日目 アンジェロ宅訪問

昨晩のかなりひどかった腹痛も、薬を飲んで寝たら、朝にはだいぶよくなっていた。発熱も下がったようだ。長引いたり、重症化しなくて良かった。

夕方から横になっていたので、身体のあちこちが固まってしまっている。私はガンガーが眺められるバルコニーにでて、固くなった身体をほぐすように動いたり、伸ばしたりした。

そうだ。太極拳をしてみよう。ガンガーを見ながら心を静め、両の脚を肩幅くらいに開く。重心をやや落とす。余分な力を抜く。起勢。

無為寺で習った太極拳も、日本で習った双辺も套路は忘れてしまった。でも、太極拳的な身体の動きは身体が覚えている。動きを思い出しながら、身体が動くままに動かしてみた。昔、旅をしながら毎日行っていた太極拳

無為寺で太極拳を修行した経験は、私の人生にかなりの変化を及ぼしたと思う。私は太極拳の魅力に魅せられた。お寺での生活の中、自分の内に力が湧いてくる感覚を実感として感じられた。そんな経験がきっかけとなり、自分を元気にすること、そして人を元気にすること。そんなことを追求するようになり、手技療法の世界に入っていった。太極拳はもう何年も前にやめてしまったけど、手技療法はプロとなり、いまでも追求を続けている。

私は再び太極拳をやってみたいと、このとき強く思った。つぎに習うとしたら、一番メジャーな陽式がいいかな。時間はかかるだろうけど、きちんと修めて人に指導できるくらいになりたい。手技療法と瞑想、そして太極拳。そんな世界を融合していくのが私の夢だ。

ケーダルシュワールは、Bed and Breakfast、つまり朝食付きゲストハウスだ。朝ごはんは妻も私もバナナパンケーキを頼んでみた。インドのパンケーキは日本でいうクレープに近いもののようだ。なかにバナナがどっさり入っていて、たっぷりのハチミツをかけて食べた。昨晩の腹痛のこともあるので、慎重に良く噛んでゆっくりと食べた。

朝食を食べて、しばらくしてもお腹の具合は落ち着いている。どうやら大丈夫そうだ。私はアンジェロに電話をかけた。昨日、せっかく自宅に招いてもらったのに、突然の腹痛で行けなくなってしまった。今日はもう大丈夫になったので、ぜひ伺いたいと伝えた。アンジェロは快く承諾してくれ、今晩のアンジェロ家訪問が決まった。

今日はあまり積極的な観光はせず、のんびり過ごすことにした。午前中は部屋のなかで音楽を聴いたり、バルコニーでガンガーを眺めたりしていた。妻は両親にAirmailを書いていた。 私はその間、小沢健二の「僕らが旅にでる理由」を何度かリピートして聴いた。

そして毎日はつづいてく 丘を越え僕たちは歩く
美しい星におとずれた夕暮れ時の瞬間
せつなくてせつなくて胸が痛むほど

この曲のこのフレーズが好きだ。17年前、私は大阪発の船に乗り、上海へと降り立った。そして陸路を西へ西へ、チベットを超え、ネパール。インド、パキスタン、トルコとアジアを横断した。西へ西へ移動していたので、太陽の沈む方向に向かうことが多かった。インドやパキスタンでは日本ではあまり見られない地平線に沈む太陽を見られる場所が多い。あれはパキスタンでバスに乗っていた時だった。ものすごく大きな夕日にむけてバスは走っていた。いつか自分に子供ができたとき。世の中にはこんな大きな夕日があるんだということを見せてあげたいと思った。そんな懐かしい想い出を振り返りながら、オザケンを聴いていた。しみじみと。何度もリピートして聴いていたら、妻に「この曲聴きすぎて飽きたんだけど」と言われてしまった。

お昼前くらいに、私達は街に散歩にでた。まずは郵便局に行き、妻が先程バルコニーで書いた手紙を投函した。 ベンガリートラ・ロードを歩き、ダシャーシュワメート・ガートへと出た。ガンガーを眺めていると、心がすっと落ち着いてくる。それはこのバラナシが特別な場所だからであろうか。それとも、単にそういう風に感じたがっているだけであろうか。わからない。でも、心が静かになっていくのを感じる。

少しお腹がすいてきたので、バラナシでも評判の良いドーサ・カフェというお店に行ってみることにした。妻は、私が昨晩あんなにお腹が痛くて苦しんでいたのに、スパイシーなインド料理を食べて大丈夫?と心配していたが、スパイシーなソースをあまりつけなければ大丈夫だろう。ただ、食堂の生水だけは飲まないようにしようと心に誓った。

注文したのは クリーミーマッシュルームドーサと トマトオニオンウタッパム

このお店は使う油にもこだわっていて、油を大豆油、バター、ギー、オリーブオイルの中から選ぶことができる。私達はギーを選択した。ギーとは発酵無塩バターを煮詰めて水分やタンパク質を取り除いてできる油で、独特の風味がありインド料理には欠かせない存在。料理はもちろん、アーユルヴェーダや宗教儀式でも使われる。

食べてみると、重ったるい油っぽさはなく、風味豊かでとても美味しい。評判のお店であることも頷ける。

さて、また現地SIMの話をしよう。このDosa Cafeはトリップアドバイザーで見つけたお店だ。宿やCafeではWifiが使えることもあるが、接続がわるかったり、速度が遅かったりすることも多々ある。SIMフリー機に現地SIMであるAirtelのSIMを刺すことにより、いつでも何処でも地図をみたり、ルート検索したり、良いお店を調べたりできる。もちろん街を歩いて、自分の直感に基づいて美味しいお店を探すのも良いだろう。歩いて歩いてお店を選び、頼んだ料理がとても美味しかったとき、喜びが脊髄を駆け上るような感覚。素敵なことだ。

だが、私はこの旅行を通して、現地SIMを購入し、手持ちのiPhoneで使うことへの利便性に酔いしれていた。日本の普段の生活では当たり前のことだ。モバイルでネットにアクセスすることなんて、もはや本を読むことよりみんなが行っている。だが、海外を旅する環境においては、その当たり前が失われる。その不便さのなかで楽しむことに意義を見出すこともできるかもしれない。だがかつてのバックパッカー経験と比較して、旅先でiPhoneがそのまま使えるのはつくづく便利だと思う。あとは使いようだ。

旅にでてまでiPhoneばっかりなのもどうかと思う。なので、私はマインドフルネスをお勧めする。ふとしたときに、iPhoneを見るのをやめ、思考もとめ、今の瞬間を感じる。そのままを観て、そのままを聴く。そうすると、本当の今がだんだん見えてくるように思える。私たちはふだん、過去のことを思い出してばっかりいるか、未来のことを妄想しているばかりで、本当の今から心が離れていることが多いと思う。呼吸を感じ、今にこころを向けると、美しいものがより美しく見えてくる気がする。

SIMの話からマインドフルネスの話になってしまった。アンジェロとの奇跡的な再会をしたからか。いろいろなことを思い出し、考えが浮かんできた。思考にとらわれ始めていることを知り、思考を手離す。クリーミーマッシュルーム・ドーサの味に集中をしよう。

ドーサ・カフェをでた私達は、ベンガリートラ・ロードを歩き、宿へと向かった。帰り際、妻は目にはいったお気に入りのデザインのワンピースを購入。インド人の旦那さんと日本人の奥さんが経営するお店で、日本人相手だと値段交渉はしにくかったらしい。下の写真はここのお店のご主人と近所のおじいさん。おじいさんがとっても良い笑顔で赤ちゃんに話しかけていた。

宿に戻ると、オーナーのミントゥさんがいたので、昨晩お世話になったお礼を言っておいた。ミントゥさんが日本語を話せるおかげで、医者にも症状を的確に伝えることができたし、なにより妻にとって心強かったであろう。

その後は、夜からのアンジェロ家訪問まで、のんびりと過ごして体力を温存した。

日も暮れ、私達は外に出てオートリクシャーをつかまえて、アンジェロの家に行った。リクシャワーラーは指定した場所をよくわかっていなかったので、私がiPhoneのグーグルマップをみながら曲がり角を指示した。アンジェロに聞いた住所は集合住宅が多く、どの建物かわからなかったのだが、電話したらすぐにでてきてくれた。何度も言うが、海外で普通に携帯やマップなどが使えるのは便利だ。

アンジェロ家はアンジェロ、奥さん、男の子と女の子の4人家族だ。アンジェロはフランス人、奥さんは中国人、子供達はここバラナシでインドのローカルスクールに通っている。なのでヒンディー語も子供達は話せる。通常アンジェロと奥さんは中国語で話をしている。つまり、フランス語、中国語、英語、ヒンディー語と4ヶ国語が日常的な生活で使われている。 おまけに奥さんは昔北京で日本人ツアーのガイドもしていたとのことで、日本語の日常会話もできる。すごいことだ。

子供達もとても聡明そうだ。遊びも五感をつかった自由な遊びを楽しんでいる。ドミノ倒し、工具をつかった工作のおもちゃ、神経衰弱、ボード型ビリヤードなど。ここにはテレビゲームもないし、スマートフォンで子供があそぶこともない。良い子育てをしていると感じた。とても素敵なエネルギーに満ちた家族だ。

私達はいろんな話をした。無為寺の話、その後の人生の話。これからのこと。いろんなこと。 それぞれの人生の中で、たまたま巡り合わせがかさなり、タイミングがあい、雲南省のお寺へと向かった。 そこで、同じ景色をみて、同じ飯をたべ、修行をした。

そして、寺を降りて、またそれぞれの人生をそれぞれで進んでいった。そしていま、また波長がシンクロし、再会を果たした。15年という時の流れは、ごく短いようにも思える。その間にもいろんなことがあった。でもアンジェロとの関係性においては、あっという間なのかもしれない。魂のレベルでは、私達は時空を超えてつながっているのかもしれない。

いまの段階でわかるのは、そんな考えも妄想にすぎず、なにが本当なのかもわからない。ただ、この旅を通じて、アンジェロに再会できたという事実。そのことに心から感謝したい。

またバラナシに来る。奥さんや子供達に再会を誓い、私達はアンジェロ家を後にした。アンジェロは通りまで私達を見送ってくれた。

最後にホットミルクを一杯のんだ。カルダモンとともに煮詰めたミルクはとても濃厚で美味しかった。私は最後にアンジェロとハグをした。

私達はオートリクシャーに乗り込み、アンジェロは家族のまつ家にもどっていった。

日本での日常。いろんな人間関係。そんななかで少し見失いかけていた大切なものを取り戻すことができたような気がする。 また、ここにこよう。大切な友と会うために。 私が私であるために